「女房役」という言い方

 

「大谷翔平の女房役にスタッシが定着」こんな見出しをスポーツ紙で見かけました。また、「岸田総理の女房役に松野氏」なる見出しも読みました。

キャッチャーはピッチャーの「女房役」。官房長官は総理大臣の「女房役」。事務的な言葉より情感を込めたこの言い回しの方がわかりやすいはずだ。書き手にはそんな思いがあるのでしょう。

しかし、この言い回しは、妻は夫の補佐役であることを大前提にしています。夫が持つ力を引き出すことが妻の務めだとする考え方は現代の価値観に合致するのでしょうか。

男女共同参画。夫も育児休暇を取ろう。介護は妻だけが負うものではない。主婦があるなら主夫もある。そうしたスローガンが飛び交う現代。妻は家に居て夫を支えるもの、という風潮は大きく変わってきています。

キャリアコンサルタントをしていると、世代間の違いが良く見えます。中高年女性では、結婚出産後10年ほどのブランクを経た後に再び働き始めた、というケースが多く、20代の女性では、出産のためにキャリアを途切れさせたくない、という相談が多いと思います。

そうした中にあって、キャッチャーを女房役と表すのはいかにも古臭い言い方ではないでしょうか。古いどころか、女性蔑視にもなりかねません。そうしたことに敏感であるはずの政治記者が官房長官を女房役と表現するのはなおさら釈然としません。

昨年、東京五輪組織委員会の森会長が女性蔑視発言で辞任に追い込まれました。その発言とは「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」というものです。これが許されなくて「官房長官は女房役」という表現が歓迎されるのはどうも腑に落ちないのです。

しかし言葉狩りではないかという意見もあります。ピッチャーとキャッチャーの関係は単なるポジションの組み合わせではないでしょう。かけがえのない大切なパートナー。相手として選ぶことがとても重大。そんなニュアンスを言葉に込めたい。となると女房役という言葉がピタリとはまり、これに替わる言葉は恐らくありません。

何十年にも渡って使われてきた表現です。それを時代の風潮という理由で死語にしてしまっていいものでしょうか。

言葉は生き物。使うかどうかを決めるのは国民の感覚であり一部の運動家の考えによるものではありません。「女房役」が言葉として味があり、独自のニュアンスを持つ限り、表現として輝き続けるでしょう。しかし国民の感覚が受け入れなくなればその瞬間に死語と化します。

現在の国民感覚がどういうことになっているか。スポーツ記者や政治記者はアンケートやSNSなどを使って調査してみるべきではないかという気がしています。

アメリカから日本に来るキャッチャーはピッチャーから言われて驚くとはずです。
「You are my wife!」


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