知らない土地に身体をうずめる
それといった大きな夢はない。けれど、少し行けば海の見える土地に骨をうずめたい。そんな願望、なんだかベタだし、笑われそうで言えなかった。
でも口に出していれば叶うというし、このあたりで腹を括って公言してしまおうと思う。
私は旅行にいくとき、必ずその土地に住んでいる自分を想像できるルートを選んでいる。端的にいうと、通常よりちょっと長く、なんでもない街中を歩けるコースを選択するのだ。友人やパートナーと行く場合は、あくまでさりげなく。ひとりで行く場合は、とりあえず目星をつけた地域をひと駅区間くらい歩いてみる。
もちろん、はじめて赴く場所に関しては観光地巡りも重要だし、日々の忙しさを癒すためには多少のショートカットが欠かせないだろう。けれど、「旅は移住の予行演習」。なんとなくそう思っていると、ただの移動時間も心底楽しい。(お願いなので、「気合いが入っているね(笑)」などと茶化さないでほしい。)
ぶらぶらと歩かないとわからない、その土地独特の“におい”を感じることで、来た甲斐が5倍増しくらいになる……多分これは一種のフェティシズムだ。
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例えば、家を取り囲む垣根は、そこに住まう人々と深くつながっていように思う。個人的に、最も面白いのが生垣で、地域の個性も色濃く出る。まず生垣とは、植物を使った境界のこと。一般的に使われるのは、成長速度が程よく、手入れが簡単な常緑樹だ。その中でも特に、密生することによって生じる日陰や湿気に耐えうる種類が望ましいといわれている。
生垣は公道に面しているのだから、家の顔といっても過言ではないだろうが、目隠しや防犯の効果があることから通常は機能面を重視したイヌマキやツゲ、カナメモチ(レッドロビン)あたりがよく見られる。大きなお屋敷と、シンプルなこれらの生垣の組み合わせを見ると、しっかり者の奥さまや質実剛健な家主が頭に浮かぶ。鋭い棘が光るヒイラギやピラカンサを植えている家は、警戒心の強い、少し人間嫌いな家主だろうか。
だが時々、あるのである。「せっかく通ったのだから、見ていって」と言わんばかりの、華やかさのある生垣が。当然ながら、花が咲いたり実がなったりすると掃除や剪定の手間ひまがかかる。だが、「人々の目を愉しませられるなら」とそれらを厭わない粋な心意気に、私はなんだかその家が好きになる。(人によっては、外面にこだわる見栄っ張りな家主を思い浮かべて、「こんなところにお金をかけて…」と呆れてしまうだろうか。)
鬱蒼としていて、見た目は悪い場合が多いが、「家主が勝手に愉しんでいる」ことが見て取れる生垣も好きだ。家を覆う蔦類や低木が、季節を追うごとに順に花開いていく。足元にもチラチラと、意図的に植えたであろう下草が時期ごとの盛りを見せている。公道に垂れ下がらないよう最低限の注意を払いつつ、思い出深い植物たちを植えたのだろう。そんな家に業者や近所の人たちが手伝いに入って、できたての小さな蜂の巣を払っているのを見ると、こちらも勝手に夏の到来を感じたりする。
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「好き勝手に愉しむ」シリーズでいうと、私の実家もその類かもしれない。小さな庭付きの二階建てアパートに住んでいた頃から、我が家には常に小手毬が茂っている。今両親たちが住んでいる戸建てへ引越しする際は、どうにか株分けに成功し、その後着々とその数を増やしていった。なので、毎年ゴールデンウィークには庭一面に小さな丸い花びらが散り積もり、うららかな雪景色が広がる。
小手毬は、もちろん常緑樹ではないし、花びらも散る。花の盛りを迎えたすぐあとに剪定しないと、初夏にかけて急速に成長するので、お世話も必要だ。なので生垣向きではないのだが、なぜこれを家のまわりに植えることにしたのか、母に聞いてみた。すると、「結婚をきっかけに地方からこっちに出てきてすぐ、能の『隅田川』を見たからだよ」と教えてくれた。
「隅田川」は、都の貴族である吉田家の若君・梅若丸が行方知れずとなり、その母親がはるばる隅田川まで息子を探しにくるという話。突然の息子の失踪に錯乱状態となった母親が夜道をいく場面で、灯籠の代わりに持っていたのが、真っ白な花で枝をしならせた小手毬の枝だったというのだ。よくよく観察してみると、なるほど確かに、儚げな小手毬の白は暗い中でもぼうっと浮かんでよく映える。「柳のようなしなやかさがあって風流だし、どうせ家を囲むように植えるなら、夜も愉しめた方が嬉しいじゃない」ということだった。
分譲地の真ん中に建つ民家ならではの、「家の中から愉しむことを想定した生垣」だったのだ。
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人の家のことは憶測の域を出ないが、このように、家の外側を取り囲む植物選びには、住む人の趣味趣向、道行く他人にどう見られたいか(あるいは、見られたくないか)という意識が大きく現れているように思われる。家をしつらえるとは、そうした思考を巡らせながら理想を一つ一つ実現していくことなのだろう。
それってなんだか、素敵なことだ。
残念ながら、私のような若造には、今のところ一軒家に住む予定はない。けれど、いつか私の身体をうずめる街のことを思って、今しばらくはそういう理想を、すくすくと育ててみようと思う。
勝手にエッセイ「日々是佳日」(2024.4)
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