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謝ればいいのでしょうか?

人の感性はみんな異なっているので、どんなに気をつけていても傷つけてしまう、ということは避けられないことかもしれません。また、皆不完全な人間ですので、どんなに気をつけていてもミスはゼロになることはないし、何かをやろうとしたら失敗はつきものです。
そういう時に深く反省して、「申し訳ありません」と頭を下げるのが謙虚で心優しい日本人の態度として知られています。

何かネガティブなことが起きた時に、その原因を自分のせいだと思う人は悲観的で鬱になりやすい、それに対して楽観的な人は現状分析してニュートラルな視点で原因を外に帰する、というのが、ポジティブ心理学の父であるセリグマンの考え方です。確かに欧米では、ミスの原因を、不可避な自然現象だったり構造上の問題だったりと大きく捉えることが多く、ただ単純に個人の責任だけに帰することはない傾向があります。個人主義であるからこそ、他者、組織、環境などと切り離して考える視点があるからではないかと思います。

悲しい出来事が起きた時に、「申し訳ない、ごめんなさい、私が至らなかったせいです」とひたすら自分の非と捉えて謝る態度は、「自分のせいじゃない、お前が悪いからだ」とか「こんな社会だから、こんな組織だから、こんなふうになってしまうんだ」と言って自分の責任を取らない態度に比べて美しいと感じるのが日本人ではないでしょうか。事実がどうであれ、自分が悪うございました、と潔く謝ることが高潔であるという価値観が、どこかに刷り込まれていないでしょうか。
それによってとりあえず皆の感情が収まればそれでよし、という発想は、個を犠牲にして集団が存続していくための知恵だったのかもしれません。

しかしながら、複雑化した現代は、感情が収まればなんとかなる以上の問題を抱えているように思います。感情はもちろん大切なことですが、悲しいことを繰り返さないようにするためには、誤って反省すること以上に、どうしたら良いのか解決法を模索して変化していく必要があります。鬱になって落ち込むエネルギーを、発展させていくエネルギーに転換して昇華していってこそ、悲しい出来事も素晴らしい教訓として価値あるものになっていくのではないでしょうか。

謝りすぎの日本人。
形だけやっておこう〜みたいなちゃっかりした人もいるかもしれませんが、その時、実は自分自身を大きく傷つけていることに気がついてください。自尊感情、自己効力感が低いのは、こういう行きすぎた謙虚さと反省癖が大きく影響しているのではないでしょうか?
自分が自分を一番非難してませんか?それは自分に対する虐待だということに気がついてください。それが、傷つけられた(非難された)相手に対するリベンジみたいになっているという心理的な罠も気がついてください。

大丈夫。
大丈夫なのです。


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