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誰もが正しいという意味

このような混沌とした時代では、一体真実は何なのか、と誰もが問いかけているのではないでしょうか?今まで頼りにしていた、テレビ・新聞などのマスメディアが、あまり頼れない感じがしてきて、ネットを検索し始めた方も多いようです。英語でアクセスできるオリジナルの情報を集めたり、海外の友人に意見を求めたりしている方も多いでしょう。その中で、今まで自分が信じてきたことに対して全く正反対の情報が出てきたりして、混乱する人たちも多いと思います。

研究者は真実追求のプロです。その鉄則は「原典にあたれ」。誰かが発表したデータは何に基づいているのか、そのオリジナルを当たれということです。データの一番オリジナルなものは、そのデータを収集した対象そのものになります。つまり、それは経験している現実というところにたどり着きます。しかし、自分一人が経験できる現実は、主観的なもので社会全部に当てはめることはできないかもしれません。そこで出てくるのは、直感とかインスピレーションとかいう、危機状態で発揮される、人間に本来備わっている原初的な認知能力かもしれません。

政府発表の勝利!に対して敗戦の色が濃いことに気がついていた人が大勢いたという話はよく聞きます。皆気がついてはいるのです。でも、言えないのです。そうすると自己矛盾のストレスが起きて疲れます。本当は気がついていること、でも信じたくないこと、を無理に否定するとエネルギーがたくさん失われていきます。かといって、悲惨な現実を直視することも悲しみと絶望に覆われてしまうことかもしれません。

真実とは何か。
わからないという現実があるだけです。
そのわからなさがわかっていたら良いのではないでしょうか。皆、それぞれの時代、それぞれの立場で最善を尽くしているのです。心の崩壊を防ぐための防衛規制によって守られているのです。
物理的真実は真実の一つの側面で、心理的な真実というものも存在します。一方だけに偏ると極端になってしまいますが、両方とも大切であるということ。

こんな時代だからこそ、誰もが精一杯、最善を尽くしている。
自分とは全く異なった見え方、立ち位置、意見、を持っていても、敵ではないのです!あなた自身と同じく、愛に満ちて必死に生きている弱い人間です。
どうか、自分自身も、正反対の立場の人も、攻撃的になっている人も、悪の権化に見えるような人も、みんな弱い人間であるということ。一生懸命やりすぎて疲れすぎて病気になってしまっている人だということ、を忘れないで参りましょう。

誰もが正しいのです。

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