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食の記憶~FoodFantasyに寄せて~

PCの中で3年以上埃を被っていたデータを、ようやく出す気になりました。
FoodFantasyというアプリゲームに出て来る食霊(食事を擬人化したキャラクター)のうち、強く印象に残った食事について書いたただのエッセイです。


牛丼

 有楽町の思い出。

 まだほんの子供の頃。
 私は東京都に住んでいた。両親と共に遊びに行ける範囲など高が知れている。と言っても、電車の沿線沿いは庭のような物だった。沿線沿いの遊びは網羅した。
 そんなある日のことだった。詳細は覚えていない。年齢も定かではない。私の記憶にあるのは、牛丼を食べていることだけ。遊び疲れたのかひどくお腹を空かし、有楽町にある吉野家に入り、泣きべそになって牛丼並を食べる光景だけだ。
 その味が本当においしかった。お腹を空かせている時に食べる牛丼は最高なのだ。東京で食べた美味しい物を並べて行ったら、20個以内には入るのではないか。
 今吉野家に行って牛丼並を食べても、あれと全く同じ味はしない。玉ねぎと醤油の味は近いが、全く同じではない。あれほど、泣くほどに切羽詰まって牛丼を食べる状況というのが、もう二度と来ないからではないかというのが、大きな理由である。


北京ダック

 祖父母の家に帰ると、二回か三回に一度は北京ダックが出されていた。

 祖父の大好物が鶏肉で、鶏肉に関しては妥協しない精神の持ち主である。北京ダックには親鶏の胸肉が使われる。日本でよく食べられる皮だけのやつではなく、しっかりと身が付いているやつだ。甜面醤は市販の物で、祖父母の眼鏡にかなったおいしいものだ。皮も市販の物だと思うが、インドのナンに似て、小麦粉が主張し過ぎず、中に空気が入っていて軽い口どけである。具材は白ネギを細く切った物で、これが程よく辛くておいしい。
 これらの厳選したおいしい具材を包んで一緒に食べるのだ。もうこれは祖父母の家で一位二位を争う名ごちそうである。

 さて、親鶏というキーワードが出て来た。これが食霊北京ダックを紐解く上でとても大事なワードになるのだ。その理由は、食霊北京ダックのセリフを確かめるとわかってくる。彼は何かにつけてイラストにも載っている子供のアヒルについて言及する。親子、あるいはそれ以上の関係なのだろう。食霊北京ダックは親鶏であるという考察が、実際の食事で親鶏を使用しているところからも強固になる。
 ストーリーに出て来る、眼鏡をかけた働き者のおじさんを祖父に重ね、何とも言えない甘酸っぱい気持ちになったことを覚えている。

 北京ダックは祖父母の家の名ごちそう、だった。
 今は祖父も祖母も歳であり、体感でいうと10年は……、北京ダックを食べていない。


過橋米線

 ああ、懐かしき雲南。

 小学生の頃、私は父と母の出身地が近い場所へ引っ越して来た。未だに東京で食べた醤油ラーメンの味を懐かしんでいた。しかし手軽に醤油ラーメンを食べられるチェーン店がここにはない。
 ある日、昼ご飯に中華料理店を訪れた。雲南という名前のレストラン。その頃は中華料理には疎く、雲南料理のなんたるかもわかっていなかった。父と母はランチメニューの定食を頼んだ。私は、単品の米線を注文した。なんということもない。ただ、米が食べたいというよりは麺が食べたいという気分だった。
 メニューの米線に、見慣れない振り仮名が振ってあった。ミイシェン。私はその響きが気に入り、意味も無くミイシェン、ミイシェンと言っていた記憶がある。
 醤油味のミイシェンを注文した。具にはほうれんそう。味は濃いめの醤油。好きな味だ。ラーメンと違って、麺がやわらかく、ほろほろと崩れる。麺が口の中で米一粒一粒のサイズに分断され、まるでお米を食べているような感じ。小麦の香りもなく、不思議な感覚だった。
 その店を何度も訪れたが、いつの間にか潰れていた。移転先もわからない。

 過橋米線とは
 *wikipediaの情報をメインに書いています
 中国の雲南省辺りで生まれた、米の麺の料理。椀に加熱したスープを入れ、椀の中で麺と具を調理し、食べる。日本ではこの限りではない。
 麺は米で出来ている。太さはだいたいそうめんからラーメンの細麺程度。すぐに茹で上がり、コシが控えめ、口の中で米一粒一粒のサイズに噛み砕ける状態でいただける。
 過橋米線の過橋は、橋を渡るという意味。島の離れで科挙の猛勉強を行う受験生の夫へ、冷めないように熱々の麺を持って行った妻のエピソードからこの名前が付いた。


パイナップルケーキ

 お土産でもらっても美味しいお菓子。

 研究室に来た留学生が持参した中国銘菓詰め合わせセット。日本のSAで売っているよくあるお菓子の詰め合わせとは大分異なっていた。驚くべきことに、中身が個包装ではない。A3用紙ほどの大きさがある大箱の内側に底と内蓋を兼ねる一枚の大きな紙があり、紙を開けると拳骨大の焼き菓子がゴロゴロしている。
 私がその箱を開けた時には、中身の焼き菓子は半分くらい無くなっていた。「そんなにおいしくなかった」というのは助手さんの話だったので、先生と留学生の方たちで食べてしまったのか。
 ほとんどないとは言ったものの、一種類ずつは残っているらしかった。私は助手さんに勧められた、これは特においしかったという焼き菓子を手に取った。
 なんだか薄緑色をしているのは、隣の焼き菓子からこぼれた生地らしい。風梨と見える文字が打ってある。梨のお菓子とは珍しい、そう思いながら、一口かじった。
 なるほどこれはおいしい。生地はやわらかく焼いたパイ生地のようで、しっとりとしていてほんのり甘い。中身は繊維質なペーストと、角切りになった風梨が入っていて、これがさわやかな甘さで大変おいしかった。

 その日のうちにインターネットで風梨を引くと、鳳梨と読み間違っていたことがわかった。鳳梨はパイナップルのことで、パイナップルケーキとの初めての出会いだった。


ワッフル

 自分とそっくりな性格の人って、受け入れるのに時間がかかりますよね。

 ワッフルとウイスキーのガチャでワッフルが三回くらい被った。もうワッフルいらないよ。三回目の報酬にワッフル、いらないよ。それにしてもどうしてこの時はウイスキーさんが欲しいなんて思ったのだろうか。この時の前にゲームをまとめ買いしてたからだよ。
 ああ、もう。
 父を迎えに行く日だった。暦の上では秋なのに、ずっと暑い日が続いていた。下のマックにはワッフルコーンという新商品が売り出されていて、それを食べていいからと母が言う。その時の私はどんな顔をしていただろうか、いや、もうワッフルなんて見たくないと駄々をこねたことは覚えている。申し訳ないことを言ったものだ。
 マックに着いてみれば、ワッフルコーンはソフトクリームのことだった。ソフトクリームの垂れ幕が、まるで日本に初めてソフトクリームが来たかのようにでかでかと下がっていた。
 とても暑かった。中に入ってみれば、お客さんはほとんどソフトクリームを食べている。不思議な光景だった。ワッフルをあれだけ嫌っていた私が呆けてしまうほど、何か魔力があった。そそられた。本邦初のソフトクリームだ。
 ワッフルコーンを買ってもらう。前に並んでいた中高生達も、やはり初めて食べるかの如くワッフルコーンだった。アイスを四つ差し込んで運ぶ台みたいなのに乗って、二つ出て来た。一つが私のだった。
 何か母に車に戻って食べようみたいなことを言われたが、聞こえていなかった。まっすぐにテーブルに向かって、一口かぶりついた。
 とっても、とってもおいしかった。やはり初めて食べるソフトクリームは格別だった。
 真面目なことを言うと、初めてとか嘘だ。何回も食べたことのある、ただの、しかも並みのソフトクリームだ。だけれど、やっぱり何回も言うようだが暑い日のソフトクリームは。格別だ。
 コーンも分厚くてほんのり甘い。ざくざくと歯ごたえがあって、量もある。おいしい。コーンだけ食べたい。ワッフルも……そんなに悪くないじゃん。
 結局食べきれずにコーンを持ったまま車に乗った。ワッフルが甘い。まるで幼少期の甘い思い出のような、ふわふわした心持ちで帰宅した。

 うちのレストランには、その時取った星3のワッフルと、星0のホーエンハイムさん、違った、ウイスキーさんがいます。ワッフルはなんだかんだ言ってあまり使えていないですが、この日の魔法のような思い出でご飯が三杯いける。


マカロン

「マカロンは可愛いだけじゃないよ!」

 フランスの修道女が売っていたアーモンドケーキが始祖とされる。長い年月と改良の結果、今の華々しいマカロンになった。

 マクドナルドのMcCafeが入った店舗で初めて食べる。アップルパイの紅茶かコーヒーかを飲みに行って、好きな物を頼んだらいいと言われ、ブラウニーとマカロンで一瞬悩んだ。両方食べればいいとも思ったが、二つもおいしく食べきれるとは思えない。
 あとは、「あぁーっ! 御侍さま、マカロン聞いたよ? 今日のおやつ、御侍さまケーキ食べちゃったでしょ! なんでマカロンを食べてくれないんだよー!」というマカロンの台詞に、今日はマカロンを食べて来たんだよ、って言いたかったんだそれだそれしかない。頭の中にマカロンの台詞がぐるぐるしていた。
 チョコとバニラもあったけど、せっかくだからピンクのラズベリー味を選んだ。
 人生で初めて肉眼で見たマカロンは、決してけばけばしいとかそんなではなく、小ぶりで、修道女のイメージもあってか、なんだかとても普通なお菓子に見えた。あと、全然固そうじゃない。
 一口サイズのマカロンを半分。やっぱり全然固くない。ラズベリーの味がじゅわっとジューシー。ふわりとアーモンド。あまりにも奇妙な味だった。生地に小麦かなんかのメインが入っていない感じ。それからようやく成分表に小麦や卵などの表示がえらく少なかったのを思い出した。後から調べると、卵の白身だけで出来ているらしい。
 卵の白身を焼いて出来たお菓子というのも奇妙な話で、メレンゲを焼いたお菓子はカッチカチで苦手だったのに、なぜマカロンはこんなに歯が通るのか。

 総評としてはとても美味しいお菓子で、選べる選択肢にマカロンがあれば食べたいくらい。二日間くらい作り方をずっと調べっぱなしだった。猫も杓子もマカロンマカロン言ってたあの数年前の熱狂をようやく理解したが、まだマカロンは売っているのだろうか。


うな丼

 何が言いたいのかっていうと、「うな丼って美味しかったんだね」っていう。

 夏。祖父母の家から、親戚がくれたといううなぎのぶつ切りを冷凍でもらう。
 うなぎか。うな丼のイベントストーリーは全部見た。良い話だった。でも、私はうな丼が苦手だった。小骨が、とか、たれが、とか、いろいろ理由を付けて。子供は誰だってうな丼が苦手なんじゃないかと逃避するくらい苦手だった。
 だが、子供の頃と違うものがある。私の味覚と、母の料理スキルである。私の味覚はとうの昔に大人になったし、母は進化していた。料理本から美味しいレシピを拾い上げた。
 塩もみした輪切りのきゅうりをご飯に混ぜ、うなぎを乗せ、市販のたれをかけ、ゆかりを振る。
 美味しかった。これまで食べて来たどんな料理よりもおいしかった。名作アプリの『レミリアいじり3』で、うな丼を提供すると「これなら毎日だって食べられる!」と言うのを思い出す。毎日食べたい味。そうだ。
 うなぎはそれきりだと覚悟していた。数か月後にまたもらえた。控えめに言って最高だった。
 冷蔵庫にはうなぎのたれが残っていた。それをいろいろと勿体付けて、ちょっとずつご飯にかけて食べるのが楽しみになっていた。


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