光明が差すまで 2/3

1年を越えて

引っ越してから数か月後の6月には新宿のkisiが1周年を迎えた。

ここはおまえンちの店長もよく行ってた所であり、
他のイベントバーよりもアダルトで
エデンの知的サブカルな感じやmojaのごった煮カオスサブカルとは文化が違い、
どちらかというと商業的なイベントバーはこっちなんじゃないかと思う。

まぁ、しっかりしてるかというと少し意味合いが違っていて、
強いて言うならしっかりしてる大人たちが、
羽目を外せる店といったところ
だろうか。
何というか「俺なんて全然だめだよ~」なんて言ってる大人が、
昼間見るとめちゃくちゃ敏腕な社会人をやっている感じで、
そういう人たちが集まる感じかと。

実は自分も地味にイベントに立ったことがある。

前に個人でメディアをやっている堀元さんのバーに行ったとき、
埋まってないから入ってと頼まれて、
何となくいいよといったやつだった。
結果から言うと自分の持っている客層は違いすぎてて、
個人で呼ぶことができず、
オーナーたちの力により微弱な売り上げを上げたという顛末だった。

ここではお客から無職を完全否定されたりと事故があり、
他にも言えない話もあるが、言えない話なのでネタとして面白いのだが、
書けない。無念。

とてもいい経験になったのは確かであった。
あと、ここに来たおかげで、新宿には新大久保から歩いて行った方が自分は迷わないで行けることに気が付いた、
新宿はともかく駅が嫌いのなので早く地上に出たく、ちょっと助かった。

なお、堀元さんに会あいできたのもよかったが、
お客さんで知り合いになった人が前述したエデンハウスの住民であった。
この後にエデンハウスにお邪魔したのだが、その時にもお会いし、
スムーズなお宅訪問ができて、それもよかった。
月日が経つごとに人間関係が広く深くなり、面白くなる。

1周年はすごいことなのでとりあえず、行くことにしている。
ましてお世話になったうえ、店に立った時の売り上げもイマイチだったので、
なおさら行かねばと。向こうは覚えてなくても、とりあえず。
多分、ここの店長の1人とはエデンでお会いし、
仕事も軽く紹介された気がするが、店ができるはるか前のことなので、
これは覚えられてなくても仕方なかった。

1周年の時にはいろいろな来客があり、本当に愛されてる店だと感じた。
何というか血族のような絆を感じた。
儲けだけとかとは違う水よりも酒よりも濃い縁が見えた。
あと客のキャラも濃いので、とにかく一人一人が面白い。
なんか芸人なのかと思うような人もいる。
そう思ってると本当にプロかもしれない人がいてもおかしくない店なので、日常が面白くない人にはお勧めである。

とりあえず、自分は炊飯器で作られていた水餃子のうまさに感動を覚えながら、そんな店の様子をずっと見ていた。
すごい。なんかみんなすごい。俺もいい歳でこういうところにわっと入ってかなきゃならないのに、ただただすごいと思ってしまう。
この人たちより面白くないからコツコツ江古田の地下で頑張ろうと思うが、楽しいので居心地はよかった。

店長もTwitterはキレッキレで、店ではとっても優しい。店長は店であり、店は店長そのものであると思った。動画もやってる。

あと男性向け脱毛サロンもやっている多角経営なので、そちらも。

この後、相互フォローになっていただいたが、
しばらくして、自分のとんでも飯をびっくりされて思わず、リプを飛ばされてしまいました…。


卵もうどんも納豆も安いので貧乏人の味方なんだ。時間も金も惜しんでまとめて一気に食う。

シェアハウスでの暮らし

1カ月もすると新しいシェアハウス暮らしも慣れてきた。
前使っていた炊飯器とかはそのまま使えたし、
そのほかにもいろいろ持ってきたものが無駄にならずに済んだ。
改めて清掃用具を100均で揃え、ゴミ収集の曜日を場所ごとで覚え、
なるべく日頃の清潔に貢献するようにした。

ただどうしようもないことがあった。
布団はエアベッドしかなく、明かりはデスクスタンドしかない。

せめて、もう少し人に近い生活がしたいもの。
だが、買うお金もない。

そこで駄々をこねたり、探ってみた結果、
電灯は他のシェアハウスのものをもらえることになった。
もっとも、忙しすぎて一か月保留にしてしまったのは申し訳なかった。

電灯でめちゃくちゃ大はしゃぎする33歳男性。

今もトラブルなく使えており、感謝。

そして!この後、布団までもらえてしまう…。
うちのシェアハウスオーナーは一時期、
物乞いを意味するネームを名乗っていたのだが、
まさか住民の自分がリアルに物を乞いてしまい本当に手に入れることができてしまうとは思いもよらなかった。



このとき初めてエデンハウスに行った。
まさか、閉鎖する直前に行くとは思わなかった。
そして、この時にkisiで知り合った人と再会し、
とりあえず、布団を物色して持ち帰ろうとしている
不審者という目で見られずには済んだ。

シェアハウスの住民を住んでるわけでもないのに全員知ってたのはちょっと驚きだった。
継続して人とかかわってるといいことある。縁は大事にしよう。

こうして、光も寝床も貰い物で済ましてしまった。
買うと俺の半月分以上の食費になる額だ。
大変、ありがたい話です。今もこの文章はそのもらった布団の上で打ってます。スタバじゃない。行けない。

地元で栄える店

この時は5月で衣替えするような時期だった。
半袖でちょうどよくなりつつある気候だった。
多分このくらいの時期だったと思う。しょぼい喫茶店に行ったのは。
ちょうど開店して間もないころだった。時期的にmojaより少し早めに初めて行ったのは覚えている。

本も出していたので、サインもらうついでに行くことにした。


中野という地域は中学生の時にまんだらけという古本屋をTVで知ってから自転車で行けるようにして、
当時、普通の古本屋では希少で揃えられなかった漫画を買いに行った思い出がある。
それ以来、中野はちょくちょく行くようになり、
高校になってからは中野に住んでる友人ができ、
今でもサイゼリヤとかで限界食事会をする仲になっている。



そういった経緯で土地勘があり、
2度目にはすっかりマップなしで行けるようになった。
mojaにしてもそうだが、
自分のゆかりのある土地で頑張ってもらえるのは非常にうれしい。

あなたたちが来るまでは静かで暮らしやすかったけど、
とてもつまらんかったのです。
ネットの楽しいリアルは渋谷とかに行かなきゃならんかった。

全然行けてなかったけど、
1年の間、経営で大変な思いをしてるのはどことなく感じていた。
商売は厳しいとかそういうのではなく、
スタイルというか方針というかそういう自分の部分と現実との折り合いをつけられるかどうかで、大変そうだなという気がしていた。
楽しいだけでも合うというだけでも商売にはならないし、
そう感じてもそれは一瞬のことで商売の大変さはずっと付きまとう。

恒常的な辛さも一時の醍醐味も両方感じられるようになったとき、
己で何かをせざる得なくなる時が来る。
本を読んで日頃のTwitterの感じを見て、何かを得たのだろうなと思った。

そして、たどり着いたしょぼい喫茶店の看板は1年前と変わっていなかった。
冷静に考えたら、あの段ボールの感じでどうやって雨風を凌いだのだろうか?
逆にあの看板はもはやしょぼくないな。強い。

そして、久々に中に入った。

すごい。メニューがすごい。地元の喫茶店と変わらないかそれ以上だ。
これが何かをつかんだ店なんだ。
どことなくカウンター内外も活気に満ちててよかった。
地元の人もお客さんとして来ていて、落ち着くけど、
賑やかな明るい喫茶店となっていた。

自分の行ったときはまだTwitterで知ったお客さんばかりだったので、
すごい進化していた。
みんなはもはや普通の喫茶店というが、
ここまでくるとちょっと強めの喫茶店だ。
いや、強喫とか名乗られても嫌だけど。

この後、本にサインをいただいて帰って以来、
また行けなくなってしまったのだが、
今後は暇があるので、行きたいと思う。
なんかサインだけねだって帰ってしまったみたいになるのも申し訳ないし。
それとこの時は金銭的余裕がなくて、またもやチーズケーキを逃してしまったので今度こそ食べたい。
できれば、ある程度、定期的に行きたい。ここは店も土地もいいんだよ。

中野に関しては駅の周辺や公園周辺はよく行ってたのだけれど、
しょぼい喫茶店周辺はあまり行くことなかったので、
大変、地域を知る上でもいいきっかけになった。

また、当時行った時と比べ、みんな変わっていった。
お客さんは結婚したり南の方に定住したり、お店だって。
でも、未だにちゃんとつながっていて、
それぞれが互いのエネルギーになりながら活動している。
組織勤めのような強引なものじゃなくて、こういった繋がりの中で生きていたいというのが人間の本質なんではないかなと思う。

それぞれが1つのゴールにたどり着き、割と平和にやっている。
未だにエデンの会長は戦闘続きだけど、
そんな中でも自分の道を歩まれているので、良かった。

また書籍を出された。しかも、3冊同時刊行。すごい戦闘民族だ。

この後、mojaでも昼営業をやっているのでそちらも行った。
昼は偶然、2人ほど意欲的にやってくれていて、
こちらも喫茶店のような営業体制が整っている。
夏は自分も去年入ったが、
暑かったので避暑地としてお客様が利用してくださり、
昼にしては売りあがった記憶がある。
店としても人が開けてくれるのは大分、ありがたいことだろう。

情緒と文化と肉体と

前のnoteで終盤で書いたこんこんというお店。
こちらも執筆時には開店予定の状態であり、
こちらも開店して割とすぐに行ったのだが、
人の多さに飲まれて、やっとるなーと眺めて終わった記憶がある。
ただ、店主がエデンを古くから支えてくださった方で、
当時から知っている人も来ていた。

ちょっと今のエデンと以前では変わったところがあるけど、
こうやって集まれれば、以前と同じようにできるとその人たちは話していた。
自分も確かに行っただけという話になれば、古参と言われる部類なのだろうが、全然付き合いもなく、本当に客として来ていただけだった。

だから、自分は店の中でのコミュニティには属しておらず、
そういった属人的な文化が希薄だった。
大きな理由としては実家暮らしであったが、
フリーターのため、またもや金がなかったがある。
あと、もう一つは就職するかライターとしての道をどうにかするかで思い悩んでいる時でもあったため、非常に不安定だったからだ。
ここで立ち位置を決めて交流を深めても得にならないと思っていた。

ただイベントバーの性質上、
他のバーと違って、客同士で共感するポイントが高い。
まずTwitterがあるし、そこからさらに自分の属性と共通のところを知り、
よそだったら、5,6回会ったくらいの仲になる。

自分も全く違う土地でバー通いを1年やってきたけど、
それとはまったくもって段違いだ。
まして、グダグダで人間味のある店なので、余計につながりが深くなる。
サークルと店の中間のような感じだろうか。

その繋がりが時を経て、ここによみがえっている。
店というのは人という線をつなぐ点なのだろう。

店主はグルメであり、酒にも詳しく、そのほかにもいろいろと含蓄に富んでいるため話をしていて飽きることはない。
そのため、大変人気のある人だからずっと話すわけにもいかないが、
ずばり聞きたいことを絞って、話せば、
短時間でも充実した知見が得られるだろう。

ここが面白いのは酒だけではなく、コーヒーにも通じている点だ。
他のイベントバーにはないところかもしれない。
ここで飲むコーヒーは喫茶店のそれと変わらないし、豆もお店も教えていただけるので、価値が高い。

そして、武術にも通じている。格闘技関連の日もあり、自分もその日はmojaでお会いした人が店をやるので行った。
他の人だと着物を着ている女性がカウンターに立っていたり、
文化的に美しい様を拝見できる店でもあるのだが…

某日、何だろう、この日はとりあえず上裸の男が、いや、漢がいた。
イベントの名前はストロング着物バーだったはずなんだけど、
どうしてそんなに肌色が多いのだ。RGBの調整を何か間違えたのか?
愚者には見えぬ着物でも着てるのか?
グラフィックだけじゃなくてシナリオ設定もおかしい気が。
遅く行ったせいもあるのだが、これはバグだ。

浅草にあるため、昔ながらの文化的側面も有している地域であり、
技術や文化、外国人客も多いため、観光的な資源も押し出して展開できる。
観光地であったり、職人の技であったり。
そういうものと縁がとても深い情緒のある街だ。

それが、ここに上は一糸まとわぬ巨漢がいる。
いや、これが文化なのか。フィジカルじゃなくてカルチャーなのか。
全くわからん。
俺にはまだまだ早すぎたみたいだ。

なお、次回行ったら、今度は虫がいた。厳密には標本だ。
カエルの話を聴き、虫を見て、ウイスキーを飲んでた。
これはこれで日常に触れられないものに触れられ、大変に良かった。
結構ネットの動画で見てたりしたので、興味はあった

しかし、もっとこう着物だの本だの歴史だの職人さんだのそういう落ち着いたものに触れられるはずなのだ。
それが自分がトリッキーなものばかり行ってしまった結果、
練馬の片隅にある店と同じような時ばかり行ってしまう。

もう自分は尖りたくないのに、どうしてこんな鋭いイベントばかりを。
なので、この店本来の魅力をどうにも伝えられなさそうだ…。

とにかく、店主及び店員の方々は安心かつ楽しいのでいつ行っても大丈夫です。
基本的にはスタッフ固定みたいなので、安定して行けます。
詳しくはツイッターを。

人材発掘

店にはもちろん面白いから行くんだが、それだけだともったいない気もするので、隙あらば、自分のイベントとか店のことを紹介して、
何ならイベントやらないかどうか話してみる。
不安そうだったら、サポートの話もしてみる。
割りと節操なく、どうですか?と聞いている。

個人的な感覚だと誘われて検討する人がほとんどで、
やるという人は1月先とかそんな感じ。
早くやる人は誘われたからとかじゃなくてすでに検討していて、あとは相談相手とか見つけるだけだったりする。

誘われて、そこで初めて知って、
やりますと言ってやる人はなかなかレアだ。

だが、そのレアな人材を自分は引き当てたことがある。

日本一有名なニートとまで称されたPhaさんがいるが、
彼は個人としてはとても有名だ。
少なくともニートに属してたり、その生き方に興味を持てば、
必ずと言っていいほど行き当たる人物だ。
しょぼ喫でもその話をした。またエデン本店のお客様第1号でもある。

そんなニート達をひとまとめに集めたらどうなるか?

それを実際にやったNEET株式会社というところがあり、
一応、法人格を有している株式会社だ。
ここは何をするでもなく集まって何かをやれれば面白いのではという漠然で曖昧な虚無な思想のもとに集まっている。
自分もとりあえず関係しているが、
そこでも一部やれそうな人にイベントバーの話を振ったことがある。
今思えば、この組織にはこの一回きりの勧誘だっただろう。
とてもじゃないが、全員に声かけるには責任が伴いすぎる。
有望な人間だけにしたかった。

かなり元気のいい無職がいたので、限界人間大好きなイタリアンレストランサイゼリヤでイベントバーの話をした。
そしたら、がっつり興味を持ってくれ、ちゃんとTwitterで挨拶し、客として対面で挨拶をし、そのままイベントに移ってくれた。
昔の自分だったら「ニートはすごい、やればできる。いや、一般人より優れているのでは?」などと思ってしまいそうだが、
冷静に考えられる今の自分が思うのは、
ニート云々じゃなくて彼が持つべき筋を持っていて、
それが実行に移せる好人物
だったからだ。
かなり早い段階で彼を引き当てられたのは大きかった。
そこから、彼のつながりで数学の博士号を持っているニートの方を呼び、
その影響か不明ではあるが、立川のFu...でも営業をするメンバーが出た。

さすがに彼が界隈の外にまで大きく広がることはなかったが、
存在感を示すことができた。
その後、彼は組織の中で大きな存在となるが、それは少し別の話だ。
そこから他の人も店に興味を持つようになった。

教えたのは自分だが、そこから先に進んだのは本人の力であり、
それがどこまで自分の影響かわからない。
ただ、教えて放り出してはよくわからないまま離れられてしまう気がしたので、
説明できるところはして、オーダーの対応や会話の進行の補助など、
悪印象にならない努力はした。
これがやり過ぎて、盛り上げようとしすぎると自分のイベントになってしまうので、
そうならないように、本人と客が過ごしやすいように持ってくのが精いっぱいだった。少なくとも慣れるまではサポートについたりした。

店のためでもあるが、どんな人間であれ、何か文化を持っており、その文化の交流を促すためでもある。
人は誰しも理解者が増えるのは喜ばしいことだ。
何となく面倒だとか大変そうで不安だとかつまらないことでそのチャンスが断たれるのは大きな損失だと思っている。
繋ぐことができれば財産になるので、逃したくはなかった。

そうは言っても、初めはこの界隈の存在と店を繋げたくなかった。
まずは互いの理解の範疇を超えて無駄な衝突を避けたかったのが一つと、
もう一つは店での印象を気にしたこと。

自分の印象が自分から発したものでなく別の界隈からもたらされたもので印象付けられるのが怖かった。
○○さんだからこうだよね、とかではなく、あの界隈にいるから○○はこういう人と組織で個人が印象つけられそうな気がした。
すると、店からも距離を置かれてしまい、付き合いが悪くなってしまいかねないのでは、と。

ただ、そうならないだろうという自信を持ってきたので、
紹介もしたし、ここでも書いている。

何故なら、店の中でもう自分という個が成り立っている自信があるからだ。
NEET株式会社の方では存在が薄くなってしまってるか店の人としてのイメージになってるかもしれないが、
もうそれはいい。尊い犠牲としてその辺りはあきらめるしかない。
一応、そちらの方でもいろいろ頑張ってはみたけど、
忙しさのあまり、切るしかなかった。
ちなみにリアカーを三ノ輪から持ってきたのもこちらでの活動である。

上記の心配はさすがにし過ぎなのではないかと思うかもしれないが、
ネットでのつながりは情報だけで判断される。
その判断は個人の頭の中だけで行われるものであり、解釈なぞ自由にできる。
それゆえにこちらの意図してない印象付けに気を付けなくてはならない。
会わずにいる、話さずにいる分、人の中でネガティブなイメージは育ちやすくなる。
ネットを人間関係にかませている場合、
そのくらい神経質なくらいでちょうどよくなる。
まして、自分は多すぎるくらい人とかかわりを持ちすぎている。
少し遠めの人間関係の距離を保って、扇動などしないで相手の任せるままに動いて責任と印象付けを逃れるのが一番いい。

好感を持たれることも印象に残ることもないが、
嫌われないためどこにでも幽霊のように存在できる。
それがコミュニティをまたいでも自由に動ける位置になる。

そのつもりだったんだがな。

神輿にされるとき

えー、なんだろう、この謎イベントは。

謎のハッシュタグにイベント名。
そもそも事の発端は…って知るか。
いつも通り、バイトに行こうかと朝寝ぼけながらTwitterみてたら急に決まってたことなんだよ。

なんでこんなことになったんだろう。

俺はただイベントを引き受けて、言いたいこと言って、
料理も出さなければ、何のコンセプトもなく存在していただけなのに。
どうしてこんなことに。

謎に設置されたネット上の集金装置には遠隔ドリンクという名で課金され、他店では店の様子が音声配信され、
店内では謎の人類たちがカウンターを埋めていた。
いや、俺もよくわからない変装して初見ですとか言ったのもどうかと思うけど、いきなり語られる身にもなってくれ。
そもそも俺はネットコンテンツそのものになりたくて、
イベントにいたのではなく、ただひっそりと店に関われればよかったのに。
なんでこんなことに…。

別にこれは自慢してるわけでもなんでなく、純粋に訳が分からないのだ。
まして、これを企画した2人は今年知り合ったような人で、
去年より前に知ってた人物でもない。
一体何があってこんな得体のしれない三十路を神輿にしやがったんだ…。

まぁ、ここから自分でやったバーイベント半年記念や誕生日バーもやった。
そして、こもりでは囲われイベントがあった。
これは身内飲み会で非常におとなしいものなので、
mojaで行われたこの事件とは違う。
あれはアクシデントでありイベントではない。何あれ。

人は長くやっていると色々あるもので全てを計算通りに動かすことはできないみたいだ。
いや、でも、わけわからなすぎるでしょ。

だが、さらに囲われイベントでさらに訳のわからないイベントに巻き込まれることとなってしまう。

義理や筋、返礼はは大事にしてきたつもりだ。
これの積み重ねで安定してる信頼が得られると思ってやっている。
挨拶と同じだ。来てくれたら、行くし、覚えてお礼も言う。
たったそれだけだ。
アクション一つに対し、必ずリアクションをする。
当たり前だと思ってやっている。
本当にそれだけなのだが、積もり積もって、
いよいよ処理しきれない段階に登り詰めてしまっている。
語られるとか囲われるとかどうしたらそうなるんだ。もっと時間の使い方あるんじゃないのか?

俺は今、人生30過ぎて3年余り、全く未知の領域に足を踏み入れてる。
語られて囲われる予定なんてなかった。
どうしていいかこの時ばかりは分からない。

ただ自分で書くと何だか自慢のようになってしまって気恥ずかしいが、
カウンターは埋まり、テーブル席も少し座ってもらえるくらいにはなってた。
明らかに偶然来たお客さんもいたけど、とにかく感謝に堪えなかった。
おごってもらったり、普段500円のビンタを無料で受けられたりと至れり尽くせりだった。

プリーズ、無職

ちなみにFu...はクレープ屋の居ぬきでもあり、
前はクレープを出してたり、今は子供食堂をやってたりもする。
そして、カレーもやろうとしている。この辺りのイベントバーでは現在、カレーブームなので、商売に困ったらカレーを出すという謎の流れができている。
そういったわけで、執筆時点では曖昧な無職を求めているそうだ。
とにかく人がほしい。店を開けてほしいのだ。
それが奇しくもmojaでは軽く成功し、無職でないにせよ、
昼営業に入ってくれる人材がいるし、求人すらある。
きっとこういうのを狙いたかったのかもしれないけど、
狙ってできることではないよなぁ。
まず、速攻で自分という無職を捕まえて未だにホールドされ続けている、
よくわからない店のグリップ力。

しかし、無職で店に立ち続けたいという奇特な人はそうそういない。
自分で言うのもなんだが。

でも、お店の運営側はすごく、催眠術師のオーナーにエデン創業初期からサポートをしている現店長プロの漫画家など
大変、人材が豊富である。


他のイベントバーほど飛び道具がたくさんあるわけではないが、
充分に魅力的かつ個性的だ。

駅前ではあるものの住宅街にあり、近所の方が行きやすい路面店でもある。都心からも中央線で行けるためアクセスは良好。
この平穏な土地に濃い店ができたなぁと思ったものだが、江古田や池袋付近のイベントバーよりは全然平和。

なので、お客としても曖昧な人材としてもぜひ行ってほしい店の一つである。
ここから一駅離れた立川の映画館はお勧めなので、
そこ行った後でもいいぞ。とてもオタクに優しいぞ。

自然が恋しくて

人は集まると何かをしたがる生き物。店の外でもイベントは行われた。
夏には川と海にも行った。
川は飯能河原に行き、水鉄砲を掛け合うタイプの大人とは思えない遊び方をした。
というか、最終的には武器を持たぬものが己の手で川の水をバシャバシャ掛け合う原始的で幼稚な楽しみ方に変貌していた。
全くもって、水鉄砲が効かず、意味がなかった。

こうなるとわかって、水鉄砲を仕込んで臨んだけど、
最終的にはただただ濡れて意味がなかった。
本当はBBQして帰るだけの日だと思ってたのに。

帰りの車の運転は先ほどのFu...の店長とmojaの近くのリサイクルショップ「買取番長」の店長にお世話になった。
お店だけではなく、車まで出してもらえるとは。本当にありがたい。
買取番長は近所の人から学生まで多くの客層に親しまれているお店で、
商店街の中にある。
気さくな雰囲気なので、店内で会話が弾み、
リサイクルショップのため変わりゆく商品のラインナップがとても楽しい。
趣味から生活の用途にまで使える品があるので、この辺りに住んでる人、
引っ越す人にはうってつけである。

まれにこんなの売れるのか?という商品までおいてたりするが、
この前はヨーダのでかい人形が売れてたので、
この店では売れないものはないのじゃないかと思う。
買い物から交流までできる楽しいリサイクルショップはなかなかないので、来店の価値ありだ。
なお、江古田の商店街のアナウンス広告にもしっかり連呼されるので、
商店街を通った際はぜひ聞いていただきたい。
個人的にオレオレ詐欺には気をつけようのアナウンスの後にこの店の宣伝が流れると笑ってしまう。

夏の最後には海にも行った。
去年、イベントバーのメンツがこぞって湘南の海に行ってたのを確認して、泣きながら派遣バイトで鉄の資材を運んでた。
今年はそうならず、湘南に行ってリベンジができた。全く海が似合わないし、湘南というキャラでも全くないけど、
海は好きなのでよかった。
楽しみすぎて、休まなくても間に合うし、遅れて行っても問題のないバイトのシフトを削って行った。

朝から動画を撮って、編集しながら行くという気味の悪い行動をとりながら海へ行った。


あと、帰りには一人でキャス配信をやり、海に行ってまでもコミュニケーション不全を起こしていた。

海に着いても、夏真っただ中で、車組は現地に中々たどり着けず、
電車の自分の方が先に着いた。
とてもみんなを待つ時間は長く、一人でテトラポットに乗って、
海を眺めたり、小さいカニを追いかけたりして海と戯れていた。

最終的には道路沿いのガードレールに座り、
海に行く日間違えたか騙されたのかと思いながら、日差しを浴び、
みんなを待っていた。

スマホの電池も自分も消耗しきったころ、参加者の一部と合流できた。
そこから人がそろい、海に入り、BBQをして、語った。
まとめて泳いで、食って、飲んで、話をして、強引に夏を回収していた。

足りないものを埋めたくて

全て、正直な話、20代で経験したいことだったなと思う。
確かに10代とかでは経験してたことだけど、
20代で得られる思い出とはまた違う。
自分は20代はなんだかんだ言って働いてたし、
学生の頃は余生を生き、ぼっちで終わっていた。
友達も恋人もいなく、ついに正規雇用までなくしていた。
人生で最も楽しい年齢層らしいけど、
相対的に見たらそこまで楽しくはなかった。
10代で疲れ切って、余白や癒しを求めてた時期だった。

それと比べれば、
楽しいことにフォーカスして生きている今の方がずっと素直に楽しい。
抜きんでた才能も能力ないし、面白エピソードのある人生ではなかったけれども、
自分が放棄しない限り、仲間として受け入れられ、居場所があり、何か楽しいことが起こる。
別にこうなるとわかっていて、関わっていたわけではないが、結果的に自分の望むものが手に入った。

継続は力なりなんて言うけど、
企業で長く働いててもここまでいいことはなく、
ただストレスだけためて、幾ばくかの収入を得るだけだ。
今の方が満足度は高い。
長くいて意味があるのはこういう時間を得られるからこそだろう。
無駄に長くいて、疲れ切っても得るものなんてそんなに多くない。

また、時間なら今のバイトの方が店と比べ、よほど長くいるが、
結果として何も思い出はなく、
特に振り返って感じることなど何もない。
逃げないで我慢することを美徳にしたところで救われるものなど何もない。
そこで傷ついて、
立ち直るのに時間がかかるようになっても誰も助けてくれるわけでもない。

今の生活は楽ではないけど、様々な経験は詰めるし、
社会に認められなくても自分の中では得られるものが多かった。
それは全てが良くて、心に残しておいても辛くならないことだけだった。
労働環境の中で得たものは振り返ると痛みを伴うような部分があり、
得たものに対して犠牲が多すぎた。

でも、わずかな幸せのためにたくさんの犠牲を払いながらやってくのが人生だと思っていた。

実際にバイトで生きるのに必要な金を得て、
残りをやりたいことにぶつけても学ぶことは多く、
楽しいことも多いので、必要以上の苦労を強いるのは決して正しいわけじゃないとわかった。
忍耐や苦労が絶対的に必要なんてことはなく、夢中で何かをやっていれば、自然と得るものはある。
辛いことを必ずしなければならないというのは一種の信仰であり、別の教義に従ったって生きるのに困りはしない。

最後へ

読んでいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。 ところでこの「さぽーと」って何ですかね?神が使う魔法かなんかですかね??良くわかりませんが、これ使う人は人間以上の徳がある人なんでしょうね。