見出し画像

異物で溢れた世界は異世界となるのか

早朝、車の中で転がりながら運ばれている。椅子を倒して、フラットシートの状態にしてもらったので、無限にゴロゴロできる。注文した荷物の気持ちってきっとこんな感じなんだと思った。

乗り込んだ時には暗かった空が明るくなってきている。朝から昼に変わるのはなんだか早い。
外は快晴でこれほど爽やかな朝という表現が似合う日もないんじゃないかというくらい。車の中で外気に触れることはないが、日差しの気持ちよさが目でわかるほどだ。

この車は海の方に向かっている。方向性も完璧だ。素晴らしい日常を迎えるべく計算されたかのような行き先だ。

目的地がその計算に見合った答えを出すように設計されてるとは到底思えないが。

静岡の伊東に向かっていて、目的の場所はここ。きっと一般的な観光客はまずここを目指すことはないだろう。メジャーなスポットではないB級であるからという理由もあるけど、とにかくそんなんじゃない。
調べてみると根強いファンはいるみたいで、単にネットでヒットしたから行ってみようという層だけではないらしい。じゃあ、かと言って、人に勧められる明確な魅力があるかというと、大変、答えに厳しくなる。

こうやって書いておいてギャップで真の魅力に触れるとかでもない。確かにそういう売り方はある。台本通りにけなして最後はハッピーに終わるような。

絶対にそんなことはないし、ハッピーとは間違いなく遠い位置に存在している。

でも、別に行って損したとか不快ってだけではないのも伝えておく。
あんまり言うと「お化け屋敷が怖すぎて嫌だ」って言うのと変わらなくなってしまう。
逆に言えば、怖すぎるお化け屋敷と比べて遜色がないってことでもある…。

表現力の拙い筆者ではこのように表すので限界だし、ここまで予防線を張り、事前の印象操作を頑張ってしなければならないほどの場所であるということだ。ただ本当にここは評価としては間違いなく人気スポットではある。そして、好き嫌いがびっくりするほど分かれる。人の価値基準のフィルターとしてここまで分厚い所もないと思う。無理な人は転生しても絶対に無理。行ける人は沼のように、ブラックホールのようにはまっていく。自分も今のところは思い出すだけで十分であるが、近くに寄ったらまた行こうか考えるし、あと3ヶ月くらいで忘れたら行きたくなるかもしれない。行きたくないという選択肢はまずない。


水面に反射した太陽光により海がライトアップされた宝石のように煌めいてる。たまにある海が泡立っちゃって汚くなるやつとは大違いだ。
サーファーもいる。ウェットスーツを着ているからって寒くないのか。波を見る限りはちょうどいい風が来ているみたいで波乗りにはちょうどいい日なのだろう。

この日は週末で、休日の人も多いであろうときだったが、全ての施設が人で多いわけではない。むしろ、このホテル大丈夫なのかと心配になるところや明らかに廃墟化した建物もあった。想像より活気はない感じもしたが、観光が成り立つ程度には栄えているようだ。
きっとバブル時代にはもっと人も多かったし、その頃の収益を見込んで作られた場所も多いのかも。ちょっと夢の跡を見た気にもなれた。

ヘアピンカーブがあるような道を抜けたり、高速でもないのに観光収入目当てで料金を取るゲートを通ったりして、車は駐車場に止まった。
どうやらここがまぼろし博覧会のようだ。

大体、何で博覧会なんだ。一年中やってる博覧会ってどんだけめでたいんだよ。

まず、ここは全てが建物内に集約されているわけではなく、屋外も利用して様々なものが展示されている場所だ。どんなものが展示されているかは追々、説明するので今のところはこの程度の情報量だけを頭に入れておいてほしい。ここで一気に説明しても理解できず、無理したらパンクしてしまうので。そのくらいの情報量であることは覚悟してほしい。

自分もTwitterで知ってはいたが、まず理解できなかった。そして、出た後も理解できなかったし、むしろわからないことが増えた。わかった部分より不明な点が多すぎた。

確かこの写真の時点では外側であり無料で見れる所である。うっすら感じ始めているとは思うが、情報があまりにも混濁しているため時系列も場所もぼんやりしている。なので、確かな情報が欲しければ、行くしかない。ここに書いてあることもまた一部であるし、ちょいちょい変化があるみたいなので、これを読む頃にはまた何かおかしな変わっているかもしれない。

もっとも行ったところで確かなものが得られる保証はないが…。

本来、行ったのだから解説をすべきなんだろうけど、ちょっと無理だし、厳密なことはWikipediaや公式を見て。

文章書いてて初めてだ。ここまで見事に説明を放棄したのは。

とりあえず、雰囲気だけ伝えておく。はっきり言ってネットでどんな情報を得たところでネタバレにすらならない。ネタにかすりもしないからそこは逆に安心かもしれない。

この日はまだまだ冬の時期であり、ご覧の通り枯れ木が目立つ。それが余計に刺激的な彩色を施された展示物を異形の存在として際立たしている。
こういった展示がずっと続くけど、奥に行くとこのノリで18禁要素が加わり、ビビットかつダークな異世界が広がっている。いや、おしゃれに言いすぎた。あの世に行っても見られるかわからないドロドロに汚濁した魔の巣窟が広がってます。

書く前、本当はちゃんと説明できるところは説明したかったんだけど、
例えばラブラブ安全ベンチってどう説明したらいいんだ。
何か?真面目に傾斜がついてるのでくっつきすぎず、適度な距離を保って一緒にいられます。健全な関係性を物理的に保ってます♡とでも言えばいいのか?
それとも、黄色い菜の花らしき植物をバックに可愛らしい色のベンチがとってもキュートで、座るといい雰囲気、絶対に仲良くなれること間違いなし!とか見えてないものが見えてるような言い草をすればいいのか?
こんなこと毎回書いてたら辛すぎる。書き終わった頃には俺の一生も終わってしまう。どうすりゃいい。

…わかってるんだ。多分、全部正解だし間違いなんて存在してないんだ。強いて言えば、ここの存在が間違えてるんだけど、間違いを集めた存在と言われれば、それこそ正解だし、わからなくていいってことになる。間違いが正しいんだ。これ以上問答を続けてると、何が間違いで正解なのかを問い始めて、哲学のような世界観になってしまう。こうなるとアンパンマンも迂闊に正義の名の下に悪と断罪してバイキンマンを殴れなくなってしまう。でも、それで諦めてしまうとこの記事が写真だけで終わってしまうので、俺は戦うよ…。
果たして正気を保ったまま投稿できるんだろうか。

こんな公共性のねぇニュースも初めて見たよ

時間があれば、ここからじっくり見ていいかもしれない。現実のものがネットや書物を上回る情報量を持っている珍しい産物だ。とにかく博覧会のいろんなことが載っているし、館長の人となりもわかろうというもの。(わかりたいか別にして)

展示物を作った人もここにぶち込まれる未来など想像できまい

しつこい感じだが、本当にわからなくていい。わかろうとしなくていい。「うわぁ」と思ったらそれが全部だ。感想は「うわぁ」、説明も「うわぁって思う」でおしまいだ。テーマがあたかもあるかのように、カテゴライズしてるかのように展示しているけど、それはない。集めて、何となく固めて面白そうならいいみたいな感じだ。これでありますって反論されて説明を受けてもわかるわけもない。やっぱり「うわぁ」で終わる。それが正解。それでいい。もし何かを語り始めたら、いつの間にか宇宙の神秘について語ることになる。宇宙の神秘を語る自分なんて想像したくないだろう。公の場でそんなことを語った日には翌日には身動きが取れない中、見知らぬ天井を見る羽目になるだろう。

長くなった。簡単に言おう。「考えるな感じろ。そして、早く忘れろ」

お前たちはこのままでいいのか?無念をはらしたくはないのか?今こそ人間たちに報いを

ここから少し本性を見せてきた感じ。表のカオスなんてまだまだキャッチー。心臓を刺激するような展示が見所だ。この展示たちに神性を感じたら、それは邪教崇拝で悪魔召喚をしようとしてる人と何も変わらない。絶対に独自解釈をして世界を構築してはならない。その世界は地獄だ。

元々この場所は植物園だったそうだ。それを買い取っただか何だかでこのような作りになっており、ビニールハウスのようになっているところもある。晴れていたため気持ちの良い空が広がっていた。ふと上を見上げると奇怪な生物の影らしきものが映る。心が現れるような青天を見たと思ったら、すぐに心を曇らせる展示物に邪魔をされる。平穏なんて訪れることはない。汚染で変形した生物が溢れる超未来の滅亡世界を思わせる。

こんなもの死体とは言え、どっから回収してきたんだ。まさか…

テーマはないと書いたが、一応、太古の何かと宗教的な何か、レトロな何かと昭和の何か、エログロと地獄みたいなテーマ性は受け取れなくもない。予定していたとは思いたくないけど。絶対に偶然の産物の組み合わせだ。
一つ一つの展示物は適当に作ったものとかゴミを回収したのではなく、本当に買い取ったものがほとんどで価値はある。まぁでも、そんなんどうでもよくなる。
コンセプトとして万人に楽しんでもらいたいらしいが、間違いなく一番楽しいのは館長本人だ。客は彼岸の彼方に置いてかれてるよ。しかし、サブカルに造詣の深い芸能人などは大変好む傾向があるようだ。ここを“理解”してるとは思いたくないが、来ることによってインスピレーションが与えられるのだろう。そこに関しては真っ当に正しいと思う。

急に昭和にタイムスリップするな。

じっくり見るなら一人でもいいのかもしれないが、知識に何も自信がないのならレトロ好きや近代史が好きな人といくのもいいかもしれない。こういう所で解説やエピソードがあると楽しさが倍増する。ただその人が変にはまってここに沼って正気がかすんできたら、それは責任が取れないが。

ただ先ほども記したようにここにあるものは本物であり、価値はともかく記録としては効果を発揮してくれる。少なくとも現代では消え失せてしまったものがしっかりと保存されているので、風俗史として当時の雰囲気を少しでも感じ取りたかったら、ここはうってつけだ。正直、最初の謎のエリアは飛ばしてもいいのかもしれない。神仏マニアだって、アレ見せられても困るだろ。そもそも神仏でも何でもないものが多すぎる。意外と鑑賞対象を絞ると得られるものがあるのかもしれない。それだとここの博覧会の与えるインパクトを味わえなくなるけど。

薬と性に娯楽。堕落し切った人類

決して歴史の授業では教えてくれない生々しい昭和がここにある。いや、これも昭和の一部を切り取ってクローズアップしすぎたものだが。
少し真面目に考えるなら、現代に生きる我々としては一体、歴史の向こう側に何を捨てて、何を現在、得てきたのかを今一度振り返るのにはいいチャンスかもしれない。こういった思考の末に出た答えで人間性が見えると考えている。自分を試すという意味でもこの博覧会は有意義だ。寺というより修行設備という感じ。でも、大体の人は観光で行くので、何も考えないで行くと険しい気持ちになってしまうだろう。

何も信用できない世界だ。本当のことなんて何一つない

車や家電、医療に詳しい人がいても楽しいかもしれない。発狂にさえ気をつければ収穫は大きい。向学心のある人は帰ってから色々調べてみてもいい。また中野とかだとレトログッズが売ってるところもあるので、そういうのを見てもいい。ただし、まともに捉えても感覚で処理しても情報が濃いのでとても疲れるのは変わらない。
調べてたら、まぼろし博覧会に連れてった親が子どもを躾ける時に「まぼろしに連れてくよ」と言ってトラウマを教育の材料にしたりするらしいことがわかった。子どもにもしっかり恐怖を植え付けられるようだ。考えても無垢な気持ちで行ってもダメージを与える博覧会はここくらいしかないんじゃないだろうか。それでいて楽しんでもらうためにやっているというのだから、今一度、楽しみの定義を改めて見直す必要が出てくる。

多分、殺人事件起きる前の現場だ、これ

初めの方は恐怖を感じても仕方なかったし、意図的であったとも思う。ここは展示されているものが雑然としていて古いだけであり、恐怖の対象として並べられているわけではないようだ。人というのは古いというだけで奇妙さを抱き、それが集められ、一貫性がないと奇妙さが集合恐怖に変わるようだ。人は理解できないものを恐怖の対象として捉える。それは生物として当たり前の反応なのかもしれない。
しかし、火を怖がっていては今の発展がないように、恐怖を恐怖のままに感じていては先に進めない。恐怖を乗り越えろ。狂気に呑まれるな。

混沌を若者の力で押し上げている

しばらくすると、戦争の世界を抜けて、文化の構築が見られる。ここまでは本当に人間の営みを感じる。展示の仕方は無茶苦茶だが、細かいところばかり見ないで、流れで捉えると時流が整理されていく。さっきは狂いかけて、恐怖と対峙するように促してしまったが、疲れたら素直に通り過ぎてもいいと思う。元なんて取ってるようで取れてないようなもんだし、むしろ治療費をくれくらい思うかもしれない。疲れたら屋外で一息ついて、空を仰いで、思考をリセットするといい。事前に飲み物を買うことも勧めておく。その屋外も展示物で覆われているけどな。

奥さんに売られたもの、ここにあるかもしれませんよ

ここに来て、ただ古いと思うだけではもったいない気もする。なぜ古く感じるのか、どうしたら今のようになるのか、あるいはこれより古い時代はどうだったのかを考えると体験に奥行きが出てくる。どんな体験しても人に伝えられることは「うわぁ」って言うだけかもしれないとしても。

よかったね。これがふんどしで。首とかだったらどうするよ

アートゾーンに入って来た。ここが地獄の1丁目。どんな知識も教養も役に立たないし、肉体の強さも通じない。ただただ精神力と経験に直接訴えてくる。衝撃を衝撃として受け入れるしかない。芸術ってそんなものかもしれないけど、これはただのびっくり箱にすぎない気がしないでもない。ここに来ると人類の"わかる”ことなんて一部であると思い知らされる。人は自然どころか自分たちの作ったものですら理解できない。そんな人類たちが何を理解し合えると思ったのだ。平和なんてどうして続けられると思った。むしろ無理解と争いが自然なのに。今のは奇跡と偶然が生んでいる不自然な時代なのだ。理解できない事実を受け入れて、混沌に身を置いていることを自覚しろ。

………どうしたんだ、俺は。

ここの展示物はここで正解なのだろう。ここ以上にあるものか

置かれる場所さえ間違えなければ、珍重され庇護の下で扱われただろう。だが、この野ざらしに近い環境に置かれた事実を受け入れるしかない。疲れ切った人々にさらに奇異な目で見られるのだ。そして、わずかにわかってくれる人に愛おしく思われる。ここの博覧会はともかくとして、展示物一つ一つに関しては歴史と物語がある。せめてそこに目を向けるのが礼儀かもしれない。なお、屋外は空調なんて整ってるわけないから夏は普通に暑いらしい。この時は少し寒いくらいの時期なので、全てが快適な環境で見られた。展示物が快適かは別であるが、身体の不調がなかったのでよかった。
行く時期も考えるといいだろう。

これがお前の悪意か

平気で呪物と称されたものが置いてある。これはもう見た人がたまたま恐ろしさを感じてるだけとは言えない。直接、嫌悪を増幅させにかかっている。ここが一番好きと言う人もいるが、納得もできる。その人の人間性は問わないが、公然とできないものを内に秘めているものだ。それがここで解消されるのなら確かにここは癒しのスポットかもしれない。
キャッチコピーは色々と変わる博覧会であり、展示とかコンセプトなど内容に関してもそれっぽくコロコロと変わる。絶対に気分と趣味で構成されてる。それでも、何かを感じる人がいるなら充分にここの存在意義はある。人によっては、人生とお金をかけてここを作った館長の生き様を見て、自分の好きなように生きるための参考にしたいと言う人もいた。参考になるのか疑問は絶えないが、ここまでやたらめったら刺激を与えてくるのだから間違いなく何かを感じるだろう。どうせならそれをなるべく建設的な経験として活かしていきたいものだ。

ネットがない時代で、ビデオも観れないし、観れても粗いですからね

たまに霊感の強い人に遭遇する。「ここ何かいるから嫌だ」って言う人を見たことある。これだけのものが展示されてるし、もしかしたら呪われるみたいに思う人もいるかもしれないが、おそらくなんだが、これだけ人の往来があって、開放的かつエネルギーで満ちてたら呪いなんて届かないんじゃないかと思う。あったところで。これだけの人数に呪いをかけるのも大変だろう。それにそういうことがあれば珍スポットではなく、霊障スポットとして違う取り上げられ方をされてる。一応、10年続いてるみたいだし、大丈夫ではなかろうか。自分もこうやって記事にできてるし。むしろ、悪いことはここ行ってから起きてないなぁ。来る前の方が起きてたほどだ。それでも何かが見えると言う人がいるのならちょっと見てもらいたいくらいまである。

ちなみにだが、これの他にもおっさんの像たちに視姦される全裸の少女像たちとか朽ちた見晴らし台みたいな所とか色々ある。全然こんな記事に載ってる程度の場所ではない。そりゃ撮影可能だ。平べったい情報から得られることなんて現地の万分の一にも満たない。

マジの医療器具とか見せられない人体を模した何かとか色々ある。表現だって〇〇フリーの観点から見たらアウトなものばかりだ。一体、どっちがフリーなのか言いたくもなるけど、ここにあるもの時代に沈められた遺物で溢れている。

お土産コーナー的なとこもあるので、家でも浸りたい人はぜひ。

結局、君たちが一番好きです

息も絶え絶えにまぼろし博覧会を後にする。帰りは館長が走って、旗を振って全力で見送ってくれるが、疲れてるとお辞儀と手を振る程度で終わる。

自分は振り返らなかったのでそんなことは知らないが、帰りに食べた海鮮が美味かったのは覚えている。色鮮やかな海鮮丼に寿司。博覧会も鮮やかだったけど、あんなドドメ色じゃない。やっぱり伊東にまで行ったのだから、海のものを食べなくては。本当においしい幸せだ。やはり、おいしいものを食べて笑顔になるために人は生きている。海も青く煌めいていて美しいし、通りがかりの犬には一瞬懐かれて、一瞬で飽きられるし、最高な時間だ。お土産も充実してるし、店員さんはイケメンだ。わさびも有名でビールとかもいいのあるから買いだ。お菓子なんてどこでも買えて、ブランドで釣ってるだけだから別にいいだろう。それを言い続けてたら、普通に買わせてくれと言われてしまうが。温泉もあるし、なんだかんだホテルもある。東京からも近い。いい時代に生まれたものだ。

現代が一番いいな。ずっとこの幸せが続けばいい。
海の方を見るとすっかり夕陽が出ていて、なぜかいつもより日の光が目を刺すようで、痛かった。

この記事が参加している募集

読んでいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。 ところでこの「さぽーと」って何ですかね?神が使う魔法かなんかですかね??良くわかりませんが、これ使う人は人間以上の徳がある人なんでしょうね。