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(59) アンガーコントロール

「怒り」は嫌われている。
恐れられている。考えてもみれば、「怒り」は表出されると、いや表出しなくともイラついたりしたら、間違いなく人と摩擦を起こすことになる。その点から人は、「怒り」を嫌い、恐れているのだと思われる。

人は気づかないでいるが、「怒り」は人との摩擦以前に、自分自身に害を与えているのだ。「怒り」は嫌ったり恐れたりしようが、自然感情であるから誰しも持つことは当然なのだ。だとするなら、上手く管理してコントロールすることが必要となる。

人は、「怒り」をどう扱っているのだろうか。
おそらく、

(1)「怒り」を心の奥深くに押し込む

(2) 飲酒、ギャンブル、過食など、「怒り」を麻痺させるために代用する

(3) フラストレーションに満ち、緊張し、あらゆる場面で「怒り」を爆発させる

このような扱い方ぐらいしか、私たちに対処の仕方がないのが現実だ。日々、「怒り」に苦しみ、怯え、フラストレーションを溜め、やり切れない思いでいる。

大切なことは、「怒り」は自然感情であり、生きている限り誰にもその感情は起きうるし、起きていいということだ。だから抑圧するという解決の仕方は止めるべきである。当然、飲酒やギャンブルで代用するなどは、以ての外である。自分自身を責めることは止めるべきなのだ。それはあまりに悲しすぎる。では、「怒り」が起きたら、どうしたらいいか。前もって構えを整えておけば大丈夫なのだ。

(1)「怒り」は自然感情なのだから、誰の身にも起こって当然、その感情を嫌がらないこと

(2) 自分が「怒り」も持ったことを、当たり前のように許すこと(「感情」は正しいとか間違っているとか言うものではない)

(3)「怒り」は人間らしい

(4)「怒り」はシグナルで、重要なことをあなたに知らせている(権利を踏みにじられた、侮辱された、利用された、など)

(5)「怒り」は抑圧しないで”正しく”外に出す(相手が目の前にいるとして言うべきことを言う、叫んでみる、などで発散する)

(6) スポーツなどで身体を動かす(運動は脳内に”エンドルフィン”の分泌を増加させ、心に”安定”を与える)

(7) 私には「怒る」権利がある、と思うこと

(8)「怒り」は自分についてを始め、たくさんのことを教えてくれる

「怒り」は使い方さえ間違わなければ、凄いものなのだ。嫌うことはないし、恐れる必要も全然ない。自分なりに「怒り」を理解し、管理したらそれで大丈夫なものだ。

三十三歳、会社員。主訴、頭痛・筋肉痛(痛筋症)。
一年に及ぶカウンセリングの中で、抑圧した「怒り」の処理に困り、”痛み”の身体症状として発症したものという私の所見から、彼は「怒り」の発散として趣味である”バイク”(ロードバイク)を選択した。時に頭痛から目も開けられないほど苦しみ続け、時々仕事を休んだりもした。救急車で数回運ばれたこともある。

初回の面接は、筋肉痛の為父親に背負われての来所だった。何しろ素直な青年で、気持ちよく「はい」と認め、求めるように新たな提案を採用し、試したいと能動的だった。「怒り」について学び、構えで記した『(8)』を自らくり返しくり返し定着させた。余程、症状が苦しく圧倒されていたのだろう。その必死さに、この私自身が刺激を受けた。十分に希望の光は我々に見えていた。

「あのロードバイクのフレームってさ、やっぱりアルミなの?」
「違いますよ、カーボンですよ。アルミなんてふた昔前のことですよ。先生、化石化してませんか?」
大したものだ。一年足らずで重篤だった身体症状を、一切薬を飲むことなく自身の力でここまで回復させられたのは、彼の”素直さ”と、回復させたいという彼自身の”動機”の強さである。ロードバイクに乗り、一日に二百キロ走るという。行く先々で撮った自撮り写真を見せてくれる。必ずバイク全体が写っている。バイクは変な格好をしていて、およそ自転車には見えない。エンジンは載っていない。石油燃料は使わない。省エネなのだ。彼も自分の身体の省エネを成就させた。比べて私はというと、二気筒エンジン車で相変わらずダサいままだ。


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