(59) アンガーコントロール
「怒り」は嫌われている。
恐れられている。考えてもみれば、「怒り」は表出されると、いや表出しなくともイラついたりしたら、間違いなく人と摩擦を起こすことになる。その点から人は、「怒り」を嫌い、恐れているのだと思われる。
人は気づかないでいるが、「怒り」は人との摩擦以前に、自分自身に害を与えているのだ。「怒り」は嫌ったり恐れたりしようが、自然感情であるから誰しも持つことは当然なのだ。だとするなら、上手く管理してコントロールすることが必要となる。
人は、「怒り」をどう扱っているのだろうか。
おそらく、
このような扱い方ぐらいしか、私たちに対処の仕方がないのが現実だ。日々、「怒り」に苦しみ、怯え、フラストレーションを溜め、やり切れない思いでいる。
大切なことは、「怒り」は自然感情であり、生きている限り誰にもその感情は起きうるし、起きていいということだ。だから抑圧するという解決の仕方は止めるべきである。当然、飲酒やギャンブルで代用するなどは、以ての外である。自分自身を責めることは止めるべきなのだ。それはあまりに悲しすぎる。では、「怒り」が起きたら、どうしたらいいか。前もって構えを整えておけば大丈夫なのだ。
「怒り」は使い方さえ間違わなければ、凄いものなのだ。嫌うことはないし、恐れる必要も全然ない。自分なりに「怒り」を理解し、管理したらそれで大丈夫なものだ。
三十三歳、会社員。主訴、頭痛・筋肉痛(痛筋症)。
一年に及ぶカウンセリングの中で、抑圧した「怒り」の処理に困り、”痛み”の身体症状として発症したものという私の所見から、彼は「怒り」の発散として趣味である”バイク”(ロードバイク)を選択した。時に頭痛から目も開けられないほど苦しみ続け、時々仕事を休んだりもした。救急車で数回運ばれたこともある。
初回の面接は、筋肉痛の為父親に背負われての来所だった。何しろ素直な青年で、気持ちよく「はい」と認め、求めるように新たな提案を採用し、試したいと能動的だった。「怒り」について学び、構えで記した『(8)』を自らくり返しくり返し定着させた。余程、症状が苦しく圧倒されていたのだろう。その必死さに、この私自身が刺激を受けた。十分に希望の光は我々に見えていた。
「あのロードバイクのフレームってさ、やっぱりアルミなの?」
「違いますよ、カーボンですよ。アルミなんてふた昔前のことですよ。先生、化石化してませんか?」
大したものだ。一年足らずで重篤だった身体症状を、一切薬を飲むことなく自身の力でここまで回復させられたのは、彼の”素直さ”と、回復させたいという彼自身の”動機”の強さである。ロードバイクに乗り、一日に二百キロ走るという。行く先々で撮った自撮り写真を見せてくれる。必ずバイク全体が写っている。バイクは変な格好をしていて、およそ自転車には見えない。エンジンは載っていない。石油燃料は使わない。省エネなのだ。彼も自分の身体の省エネを成就させた。比べて私はというと、二気筒エンジン車で相変わらずダサいままだ。
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