見出し画像

(26) 罠-part1

想定外のことはよくある。
当たり前だが予想だにしていないわけだから突然起きることになる。考える間もなくびっくり驚く・・・。中には間を置いて腹が立つことが多いものだ。また、よく冷静になって考えてみたら、こうなるのは当然だなと思えて悔しいことも多々ある。腹が立つ中の最たるものが”罠”である。これは問答無用で腹が立ち、出来るなら仕返しをしたくなるものだ。誰かが仕掛けたに違いなく、間違いなく犯人はいるのだ。通常はその犯人はごく近くにいて、すぐにわかる。そんな場合は腹を立てればいいし、怒鳴ってやればいい。そんなのは当然で、決してパワハラにはあたらないから安心して怒鳴ってやるべきである。

これは”かくれんぼ”と呼ばれるゲームなのだ。かくれんぼは命懸けで隠れながらも、見つけられてなんぼのゲームなのだ。隠れているうちに、日が暮れて鬼が帰ってしまったら成立しなくなる。見つけられて初めてゲームが終わる。だから見つけられて悔しいけど楽しいのだ。”罠”も同じで、ゲームとして仕掛けられた罠なのだから、見つけて仕返しの為に怒鳴ってやるのは当然なのだ。それが相場というものだ。まぁ、半分いたずらの罠なら、それに乗って楽しんだら良いのである。一方、深刻な”罠”というのがある。”自分で仕掛ける罠”というのがそれである。「犯人はこの私」なのだ。

現実が歪んで見え、そのことが生きる上で大きくマイナスに働いてしまう類の勘違いであるが、それを”認知の歪み”と呼ぶ。それの罠が、大げさに言うなら人生を狂わせることになりかねないのだ。数多くある。”決めつけ”と呼ばれるものがそれである。

「私はダメな奴だ」
「私はこの仕事に向いていない」
「あの人は相当悪い人間だ」

例えばこれらがそうである。誰でもよくやるはずだ。確かにそう言って決めつけることにより安心するのかも知れないが、それで良いのだろうか。可能性としてはそうであるかも知れないが、しかしそうとも言えない可能性も大いにあるのだ。だから単なる可能性の一部に過ぎないことを決定してしまうのは行き過ぎなのだ。これは”レッテル貼り”とも言われている。レッテルを貼ると、諦めも働き、位置づけも出来るから、ある安心感が生まれる。だからよく考えもせずその勘違いに頼りきり、深く考えることをしないのが相場になっている。

勘違いした”決めつけ”は検証されることはない。これが”罠”にはまっているという事になる。「私はダメな奴だ」とレッテルを貼ってからは、余程のことが起きない限り、その決めつけは決して書き換えられることはないからなのだ。そんな思いでこの先行きますか?

「私はいつもここ一番という時失敗する」
「彼女は忙しい時いつも仕事をさぼる」などが、これである。

「私はいつもここ一番という時失敗する」・・・いつも?本当にいつも?ここ一番で失敗するのか?本当にいつもか?たまたま印象の強いここ一番が上手くいかなかっただけじゃないのか?上手く出来た時との比較はどうなのか?・・・要は極端な言葉をつい使ってしまうからこんなことになるのである。「彼女は忙しい時いつも仕事をさぼる」・・・こう考えてしまうと、確かに腹が立つ。もしかして彼女が好きではないことが前提にあり、自身が大忙しである時彼女をふと見ると私より楽にしていることがたまたまあっただけではないのか?いつもというのは本当にそうか?それだけ自身が、彼女がさぼっているところを知っているのは、自分も暇なのではないか?・・・これだけの可能性だってありうるのだ。

充てる言葉を適切に選び、極端に考え過ぎないことが大切であり、その為にはある程度検証することである。決めつけていいか?と考え直してみることが大切である。

あるクライアントの青年がいる。その青年は面接の時、私からの質問に対して、上を向いたり下をみたり、時には目をつむったりしながら長めの間を取ることが特徴である。始めの頃は、間を取る青年だな、と不思議だった。以前にも述べたが、私たちカウンセラーの仕事とお笑い芸人はこの”間”が大切であり重要な意味があるから、じっと待つことが必要である。しばらくすると、その間の意味合いが私によく伝わって来た。彼は誠実なのだ。わかって貰いたい一心で、質問に正しく適切に答えようとして、時間を取りじっくり考えて言葉を選んでいるのである。流石である。確かに彼の返答は適切・正確であり、こちらによくわかるのである。私はその姿勢から多くを学ばせて貰って来た。今、彼は福祉施設で子供たちの指導員として働いている。さぞ、子供たちは彼を信頼し慕っているに違いない。

”自分で仕掛ける罠”にはまって修正できない、書き換えることが出来ない固定化された価値を決めてしまう前に、点検四項目の提案をしたい。

①「そう思ったこれは私の思い込みではないのか?」と疑ってみる
②「こう判断し決めたのは誰か?」と自身に問い掛ける
③「そう思い込むことによるメリットは?デメリットは?」と考えてみる
④「私にとってそう思うことの意味は何か?」と問い掛ける

”自分で仕掛ける罠”にはまらないように、決して自らの得にならない・苦労を生むに違いない考えを疑ってみたいと思うのだ。これが、”自分を育てる”という事だろう、と。自身に罠を仕掛けて痛んではならない。「唯一無二のあなた」なのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?