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『炎の怪物』りんご箱② #シロクマ文芸部

*蒸気機関車の煙突のような?!



【りんご箱】の輸送は、今はトラック等による陸送がメインだと思いますが、昭和20~30年代の主流は貨物車の【チッキ】と呼ばれる貨物便によるものでした。駅に着いた【りんご箱】は各自が受け取り、リヤカーなどで自宅に持ち帰ります(〇通による配達もありました)。
ミカン箱と共に、一冬の間に食卓に輝く貴重な《果実》でした。木箱のりんご箱は釘抜きなどで蓋の板を剝がしますが、おが屑に保護された【りんご】は巨大な赤い宝石のように登場します。


私の幼少期の頃に暮らしていた・・・北海道東部の山に囲まれた小さな町は林業が盛んで町には当時、二軒の大きな材木工場がありました。

材木処理の過程で【りんご】を保護していた《おが屑》も大量に生まれ、燃料としても消費されていた訳ですが、町にあった一軒の材木工場に・・・親に連れられて遊びでお邪魔する機会がありました。ほとんど幼児だった自分は二歳か三歳くらいだったと思います。 冬でした。

材木工場の敷地には伐採されたままの大量の大木が山積されており、一角に処理された木材や柾(まさ。駅弁などの箱の素材)も山積みされていました。工場といっても自宅も一緒で、二人のお姉さんに【柾】を使った様々な遊びを教わった思い出があります。

ただ、ここで書きたかった主役は・・・りんごでもお姉さんでもなく、材木工場で大量に放出されて小屋を埋めている《おが屑》・・・

そのおが屑を燃料とする巨大な【おが屑ストーブ】なのです。

幼児だった自分の前に現れたそのストーブがあまりに衝撃的だったので、今でもその時の映像が焼き付いたままです。その時に見たその巨大な怪物と同じストーブにはその後、一度も出会ったことはありません。

当時、北海道の大地を走る王様だった【蒸気機関車】をイメージしてください。その機関車の巨大な煙突をイメージしてください。まさに・・・

蒸気機関車の巨大な煙突が【おが屑ストーブ】として、幼児だった自分の目の前で熱い炎を放射していたのでした!!


その時の景色で判断すると、ストーブの上・外部に《おが屑》スペースがあり、ストーブに流れ込むように追加される仕組みになっていたと思います。
ストーブの大きさは、その部屋の一角を埋めるかのような大きさでした。

先にも書きましたが、その巨大な【おが屑ストーブ】に対面したのは自分が幼児だったその時一度きりで、木材の町でも同じストーブに出会うことはありませんでした。小学二年になってからその町を離れ、数回の転校の後、中学になってからその町で再び暮らし始めたのですが、その頃にはどこの家庭でも【薪ストーブ】と【石炭ストーブ】が主で、【おが屑ストーブ】も やや大きい形のものしかなかったと思います。


その頃からも、もう・・・ずい分と永い時が流れました。

私の幼い日に対面した怪物は今でも・・・

【紅い炎を巻き上げる巨大な怪物】?!


のままです。(『りんご箱』は何処に?!笑)


【了】



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↑*この作品、有料設定だったのですが、あまりにも読者の数が少なく、、
今回、note三周年を祝して無料設定に切り換えました。よろしかったら
見ていただけると幸せです。
長編なのでボリュームには自信があります☆(笑)

↓こちらも、やや長編で・・暇つぶしになると思います。

↓ 蒸気機関車も出てくる・・・お話です。(短編)

↓ こちらは昔の北海道のお話・・・(短編)




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