透明で薄い糸電話
全員が机の上に広げた教科書へ目を向けてる。一番前の席に両手で本を広げて立つ子。ぼくはこの時間、いつも同じ角度から視線を送る。
カーテンはまるで発光しているかのようで。そのよこに寝ぼけた足どりで階段を降りるように時計のはりがゆっくりと下がっていく。
その下には、先生の小さな机があり、同じように教科書を広げていた。
ツルツルとすべるイスは気がつくとベストポジションから外れていることが多くて、両手で冷たいパイプ部分を持ちあげ、お尻はつけたままガタンと机に近づける。シンとした教室に場違いな音がみじかく鳴る。だれもかれも下を向いたまま。
「スイミー」
ゆっくりと、ときどき、つまりながらよみ上げていく。数行読むと次の席の子と交代する。それからまた句点ごとに繰り返される。
自分の番が近づいてくると、どのあたりになりそうか、よく予測していた。
(このあたりかな。)
目星をつけて黙読を始める。何度も。自分はスムーズに話せるかな。ほんとうのところはそういった不安なんかなくて、どれだけここに書いてある言葉をきちんと表現できるのだろうかと考えてた。もちろん、そんなに堅苦しく考えたことなんて当時はなくて。今にして振り返って、口にしてみるとってぐらいのもので。
どんなことを考えながらみんなは朗読をしてたんだろう。不思議だった。いや男子の多くはジッとしていることが嫌で、外に出てはやく遊びたいと思っていたのかもしれないけれど。
あるとき、みんなの読みかたが気になった。
声が大きく走るように読む子
体をすぼめてたどたどしく読む子
途中から諦めそうになりながらも読みきる子
読点をきちんと守って改行のときの間も作るような。真似のできない、すごい子もいた。
目の前に透明で薄い糸電話があるようだった。いつのまにかあってそっと耳にあててみると少しこもって違う声がきこえてくる。ようだった
それはきっと、今にしてみると『聴く場』がある。ということだったのだと思う。
ぼくの読むときは、というと日によってバラバラなのが自分でもよくわかる。感情をめいいっぱい込めて読んでしまうこともあれば『、』や、間を意識しすぎて変なところでつまづいてしまうこともあって。
先生やクラスのみんなに笑われたことはなくても自分の中でうまく読めたかどうかをいつもジャッジしていたような気もする。
何がそんなに面白かったんだろうか、と思い出すと。ときに、読みながら何かが掴めるような感覚になったり、意味がストンと入ってきたりすることも少なくなかったことに行き着く。
いつしか人の読み方が羨ましくなっていた。
普通という基準があるのか、わからないけれど一般的な、このときはバランスのよい読み方(声量、間、表現のようなもの)じゃない。
何かに捉われない自分自身、それぞれの『声』だった。
たぶんみんなだってみんなにしかわからないストンとくるものがあったんじゃないかな。
そんな時「あ。なんだろこれ」って声に出せない感覚を分かり合えることを待ってたのかもしれない。
そんな声が出したかったんだよな。
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