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やりたくないことをやらなくていいというゆるやかな幸せに気づく。やりたいことができるのも幸せだけど。

◆幸せってなんだろう
お金の苦労なく安心して毎日過ごせること?
大好きな人といっしょにいられること?
自分の満足いく仕事に就けていること?
もちろんどれも幸せに違いない
それでも、もっともっと!
とさらに幸せの追加注文をしてしまう
もちろん向上心は大切で
さらに上を目指すことは良いことだけど

◆やりたいことができている人は幸せ?
私は他人を見て
「やりたいことがやれている人は幸せだな」
「好きに生きられて羨ましい」と思っていた
お金や地位や名誉があれば
それはそれで良いけれど
自分のやりたいように生きられることが
最高に幸せだと思っていた

◆やりたいことをやれるだけが幸せじゃないと気づく
でもやりたいことをやって
好きに生きているだけが
幸せではないと気づいた
なぜなら私はいま毎日
幸せを感じながら生活しているから
それは決して思い通りに生きているのではなく
やりたいこと、やりたかったことを
実際やれているかというと
半分もできていない
「仕事を辞めたらやりたいこと」リストの
どれもできていない
スイス旅行にも行けてないし
ベトナム旅行も事情があってキャンセル
犬も飼いはじめていないし
眺めの良いレストランでの食事もしていない
素敵なバッグや洋服も買っていない

◆やりたくないことをやらなくていい幸せ
ではなぜこんなに幸せなのか?
それは
やりたくないことを
やらない生活を送っているから
幸せはやりたいことができることと思っていたが
やりたくないことを
やらなくてもいいということほど
幸せで心が安定することはない
と思えるようになった
やりたくないことをやらなければならない
という圧迫感は
人によって感じる度合は違うけれど
できれば感じずに過ごしたい
その圧迫感も毎日続くと麻痺し
それが当たり前になってくるもの

◆企業や社会の洗脳
私にとってやりたくないことは
仕事そのものだった
仕事がそんなにイヤなことだったのか?
というと当時は気づかなかっただけで
ある意味企業や社会に洗脳されていた
これが働くということ
収入を得ているんだからしんどいのは当たり前
だから自分なりに耐えて努力して
頑張って頑張って・・・

◆突然こころの病に
するとある日こころと身体が悲鳴を上げた
そして適応障害と診断され休職を余儀なくされた
つらかったけど
休職中の3ヶ月間は自由な時間を過ごした
30年間働きづめだったので何とも言えない
開放感に包まれ貴重な3ヶ月間を送った
でも開放感はつかの間、企業からは復帰を促され
自分もいずれ復帰するのが当たり前と
洗脳されていたので何とか仕事再開
自分でいうのも何だが
仕事はそれなりにこなしていたし
周りの人たちとの関係も悪くはなかった
でも楽しいか?と聞かれるとno
とにかく仕事に行くのが毎日イヤだった
なんで今まで辞めなかったんだろう?
いま思うと不思議
これが企業や社会の洗脳
そしてせめて定年までは!となんとか勤め上げた

◆ペットのインコたちの癒し
適応障害で休職期間中インコを飼った
ヒナから飼った
小鳥はかわいい
すっかり懐いてくれて毎日肩の上で
キュルキュル歌ってくれたり
耳元で私の名前を呼んでくれる
この子たちにどれだけ癒やされ救われたことか
飼いはじめてからおよそ10年、今も彼らは健在
心が弱っている時はぜひ
ペットを飼うことをお勧めしたい
だから心のピンチを救ってくれた
彼らには頭が上がらない
少しでも元気で長生きしてもらうために
毎日がインコファーストの日々

インコたちにその気はなくてもインコたちに救われた

◆人生を楽しむ
「これが手に入れば幸せ」とか
「こうなれば幸せ」と
未来に思いを巡らせるのではなく
いかに「今」幸せを感じることができるか
私たちは人生を楽しむために
この世に生を受けている
いかにこの世で楽しみ、遊び尽くすか

大好きな俳優オードリーヘップバーン曰く
「最も大事なことは人生を楽しむこと
    幸せを感じることそれが全てです」

幸せさがしはもうしなくてもいい
今ある幸せに感謝し
これからの人生を楽しみたい
特別なことがなくても十分幸せは感じられる
幸せの感じ方は本当に人それぞれだ





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