防波堤

松島:島々の共同作品

8月28日、松島に入った。松島は芭蕉がおくのほそ道の旅を始めるにあたって、一番関心を抱いていた地である。

小学五年生のときに初めておくのほそ道を読んでから、松島は人生で一度訪れたい地だった。

しかし同時に、対面するのに勇気が必要だった。二度目の初対面はないのだから、最初の訪問で芭蕉の感動を自分も味わえるだけ成熟していないと、感動が味わえずじまいだという感覚があった。

松尾芭蕉は、松島を目の前にして次のようにいった。いま振り返ると、芭蕉の境地を少しは自分なりに近づけたのではないかと思う。

国にある島を全部集めたかのようで、高くそびえているものは天を指差し、伏せているものは波にお腹をつけて進んでいる。二重に重なり、三重に畳まれて、左ではわかれて、右ではつらなっている。背負っているものもあれば、抱いているものもあり、我が子を愛するがのようだ。松の緑は濃密で、枝葉は潮風が吹くままに屈折して、屈折は自然のままなのに曲げ作ったかのようである。その景色は見惚れるばかりで、美人にお化粧をしたかのようである。

松島の眺め

松島には、有無を言わさない美しさがある。私は、日本三景のひとつ宮島のお膝元で育ってきた。同じ日本三景でも松島と宮島は異なると思う。

厳島神社は鳥居を中心に景観がひろがっている。一方で、松島には中心はない。松島は中心をどこに取ることもできる、不思議な景色である。

松島は外から眺めるものであるというよりは、内側に居て感じるものである。松島にいるとまるで松島と同化したかのような気持ちになる。

松島は、視点の取り方で見え方が変わる。

遊覧船から見れば、一人ひとりに挨拶をしているかのごとく、島々の特徴が際立つ。また、五大堂からは雄島と福浦島が額縁となり、松島の島々が絵描かれているかのようである。一方、福浦島からは、大海に浮かぶ島の自己主張を垣間見ることができる。さらに、芭蕉も訪れた雄島からの松島は近くの島々と遠くの島々がバランスよく見える。

絵描きとしての松島

松島はなぜこんなにも美しいのか。

まず、松島の島々は一つが美しい。どの島もそれぞれが個性を持っている。先に紹介した通り、どの島から観るかで松島の印象は変わってしまう。おそらく、それは視界に収まる島が変わってしまうからであろう。そのくらい、個々の島々は力強く存在している。

一方で、松島は全体として松島である。印象の程度はあれど、どこから観ても、やはり松島は松島である。松島には全体として悠然とした趣きがある。松島は全体として松島らしさを湛えて存在している。

松島の美しさを理解するには、この矛盾をどう考えるかにかかっていると思う。松島は全体として捉えられる一方で、個々の島々は代替可能な存在ではない。

松島は島々の総和に留まらないこと。それが松島の美しさの秘密であると私は思う。

それはまるで島々が協力して松島という作品をつくりあげているかのようだと思う。個々の島が絵筆をもって一緒に松島という作品を描いているのだ。

絵は全体として完成している。しかし、細部に着目してみるとまた全体の印象が変わったりする。それでいて全体としてのまとまりは壊れない。それが優れた絵画だとすれば、松島も同じような存在である。

絵筆もちともに描きたる松島や

松島が日本三景に数え入れられたのは江戸時代である。室町時代には、無常観や侘び寂びを基礎とした文化は一つの到達点をみていた。とすれば、こういったホリスティックな捉え方も、あながち当時との断絶があるわけではないかもしれない。

生き続ける島々

それぞれの島は生きている。

松島の美しさを言葉で表現するために芭蕉は擬人法をつかったのだと観ることもできる。しかし、松島の島々が生きていると感じたから芭蕉は擬人法にせざるを得なかったのだと私は思う。

芭蕉の時代から松島の島々が生きているとすれば少なくとも300年近く生きていることになる。しかしおそらく、松島の島々は何千年ものあいだ生き続けているのだろう。

そう考えると、松島を描き続けている島々に感謝が湧いてくる。もし人間がこの世界からいなくなっても、島々はそのまま松島を描き続けるだろう。島々は無為自然の絵描きであり、私の先達であるとともに、きっと古人にとっても先達だったのだ。

参考文献

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