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立石寺:香りのような音

立正寺に向かう

旅の2日目は立石寺を訪ねた。貞観2年(860年)から在る由緒正しいお寺である。また、松尾芭蕉が次の名句を詠んだ地である。

閑さや岩にしみ入蟬の声 芭蕉

おくの細みちでも随一の発句であると思う。「岩にしみ入」とはどんな声なのか、前々からひと目見たいと思い続けてきた。

山形駅から電車に乗って山寺駅に向かう。車窓から見える景色からみるみる間に家がなくなって間隙を埋めるかのように山の樹々が顔を出し始める。

夏草や風に運ばれ山の寺 風薫

立正寺を参詣する

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山寺駅から降り、立石寺の参道に入ると辺りが澄み渡る。木々に囲まれ、麓の街とは切り離された空間が広がる。参詣者は頂上に向けて一歩一歩進む。

松尾芭蕉が訪ねた立石寺は、現代の立石寺と同じではない。いまや立石寺は観光地となり、ひとりで閑かに登っていくことはできない。しかし、それも立石寺の懐の広さを物語っている。

私が訪ねたときは、数多くの親子連れがいた。立石寺の参詣道は厳しい。千段以上の石段を登らなければならない。道中、険しい道に耐えかえて、べそをかいていた男の子がいた。母が必死に励ましながら半ば引っ張り上げるようにして進む姿には、おかしみを湛えたあたたかさがあった。

ときふれば蝉に混じりて子なく声 風薫

充満する蟬の声

芭蕉が「閑さや」の句を詠んだ句碑が立っているのは、参詣道の半ばにある巨大な岩の前である。最初、岩の前を通りすぎたとき、想像以上に巨大だと感じた。しかし同時に、この岩だけではあたり一面で鳴く蟬の声は吸収しきれないのではないかと感じた。

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やがて頂上にたどり着いたときに気づいた。芭蕉が「しみ入」と言ったのはなにか特定の岩を目にしてではない。むしろ、芭蕉は立石寺全体が岩であると考えたのだ。

立石寺には、慈覚大師が自然と調和したお寺をつくりたいと、当時、地元を仕切っていた猟師(磐司磐三郎)と対面し、殺生をやめるよう説いたという逸話が残っている。慈覚大師が望んだとおり、立正寺は岩のなかにつくられており、また立石寺そのものが岩となって、自然と切り離されることなくいまも在る。

辺りに充満する蟬の声が立石寺を包み込んでいる。もはや、立石寺が蟬の声そのものになっている。それが「岩にしみ入蟬の声」が表現したかった情景なのだろう。

ここに至って、立松和平さんが「閑さや」の句を評するときに「香り」と表現した意味をやっと感得することができた。

立正寺の境内に流れている蟬の声を、香りと感じたらどうだろう。透明であるが少し湿気った夏の日盛りの空気の中を、蟬の声がまるで高貴な香りのように流れている。

考えてみれば、蟬の声が鳴いているのに芭蕉は「閑さや」とうたっているのである。それは芭蕉が蟬の声を「音」であると認識していないからなのだろう。

あまりに当たり前すぎて、いつの間にか音を音として認識しなくなっている瞬間は、立石寺の蟬の声でなくとも、色々な場所に在る。電車に揺られているときのガタンゴトンという音も辺りを充たす香りのようなものかもしれない。そういった香りのような音に耳を澄ませることで、毎日はもう少し豊かになるのかもしれない。

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参考文献

立松和平『すらすら読める奥の細道』(講談社、2004)

なお、松尾芭蕉が「閑さや」の句を詠んだ場所は、曽良随行日記に記述がないため、現存する史料では不明である。

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