アイドルとオタクとは

「皆さんが僕たちを見てくれる限り別れはないんじゃないかな」

先日、別れがテーマの曲をリリースした推しがライブでこんなことを言っていた。それがなんとなく、ずっと気になっている。

それはつまり、私が推しを見なくなったら別れがきてしまうということだよね。なんか、ずるいなぁって。多分、“これから先も活動し続けます”という意味で言ったんだと思うけど、別れは全部こちら任せなんだ。勝手に好きになって勝手にいなくなるのがオタクだから、実際そうなんだけどさぁ。別れがきてしまうのはそちらに問題があるからじゃないの?繋ぎ止めてはくれないの?どこにも行かないでって言ってくれないの?

私はオタクを続けるべきか止めるべきか真剣に生き方を悩んでいる。悩みながらもライブに行って、結局楽しい。オタ卒に揺れながらも、やっぱり推しが人生だと思ってしまう。私の人生に与えたものが大きすぎた。このままじゃダメだと思っても、ここにいないと私の意味が消えてしまう気がする。本当は引き止めてほしい。推しが引き止めてくれたら、私はきっと喜んでここに居続けるよ?どこにも行かないように繋ぎ止めてよ。

別れの曲をリリースしたからなのか、最近推しは別れについてよく語っていて、それって自分とオタクの話をしているのかなと私は思ってる。推し自身、オタク離れについて感じていることがあるんじゃないかな。一オタクの体感として、推しのオタクは減っている気がする。オタクでもなんとなく感じることがあるから、本人はもっとわかりやすく感じていると思う。それでも、推しは見ている人に楽しんでほしい、音楽を愛してほしいという気持ちが1番にあると思う。気持ちが離れた人に無理してとどまってほしいなんて考えていなくて、それも仕方がないと思っている気がする。気が向いたらまたライブに来てよって感じだと思う。全部推測だけど、日頃の言動からそんな気がしています。

冒頭の発言を聞いたとき、正直に言いますと「お前が頑張れよ…」と思いました。でも、よく考えたら推される側は出会いも別れも決めることができないんだよね。これまでたくさんの出会いと別れがあったと思うけど、それはいつも一方的なもので、突然好きになってもらって、ある日突然いなくなって、推しはただステージに立ち続けるしかないんだね。推しが見ている人のために活動しているとは思わない。活動は全部自分本意で構わない。見ている人のためになんて言わなくていい。それでもファンありきの活動であって、一体どれだけの出会いと別れを経験してきたの?推される側ってどんな気持ちなんだろうな…。

推しが活動し続けていることが前提にあって、あとは表舞台に立つ推しとオタクが出会えるかどうかは、いつもオタクの次第。私が推しを好きになったところから始まった。別れも私が決めなきゃいけないのか…。







はたまた別の推しとのお話。こちらの推しの現場には三ヶ月近く行かなかった。現場に通い始めてから月一くらいで行ってたから、こんなに期間が空くのは初めてだったかも。以前は行けるのに行かないなんて無理だったけど、最近は行かないという選択ができるようになった。案外行かなくても大丈夫だと思った。

先日、久しぶりにライブに行きまして、それはそれは楽しくて、推しはとてもキラキラしていました。

私がライブに行かなかったから私と推しは会えなくて、私がライブに行ったから私と推しはまた会えた。当たり前すぎるけど、私が会いに行かないと私と推しは会えないんだなぁ。

そして、たくさんのオタクにレスを送る推しを見て痛感した。私が行かなかった間にも推しはアイドルとして活動していて、私が行かなくても推しを好きで応援している人はたくさんいて、どれだけ推しから認知を貰って嬉しいことを言われて自分は特別なんじゃないかって勘違いしそうになっても、私は特別なんかじゃないし、たくさんいるファンのうちの1人でしかない。あくまで一対多数なんだ。

そんな私の気持ちを察したかのように、「みんなじゃなくて、一人一人に届けたい」というような発言をしたメンバーがいた。そういう気持ちでステージに立ってくれることはとても嬉しいしありがたい。それが本心から出た言葉だということもわかる。でもね、違うんだよ。どんなにそういう気持ちでいてくれたとしても、どうしたってアイドルとオタクは一対多数の関係なんだもん。私は推しのことしか見ていないのに、推しが見ているのは私じゃなくて、私には推ししかいないのに、推しは私がいなくても大丈夫なんだよね。

オタクは特別にはなれない。そんなのずっと前から知ってたし当たり前なのにね。特別になるつもりなんてなかった。一対多数の関係が昔は心地よかった。今はそれがちょっとだけ虚しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?