臓器提供について、考えてみた

免許証が新しくなった。
そのウラ側に、意思表示を書く欄がある。

きっかけは、とあるTV番組。脳死した身内の最期を決めることや臓器提供をすることに、遺族が葛藤している姿を見た。自分からは遠いことではある、近々死ぬ予定はない。でも、その遺族の姿を見て“もしも”を改めて考えてみた。

意思は変わらず、以前と同じ。脳死・心臓死どちらであったとしても、臓器提供をするというところに○をつけた。

きっと自分は良かれと思っても、家族は複雑な思いを抱えるんだろうな、とは思う。でも、私自身が意思表示をすることで遺された側の心理的負担が減るのであれば、やはり書いておこうと思った。
今まで五体満足で健康に過ごしてきたし、もしも誰かのためになるのであれば資源として使ってもらったっていい。

それに、臓器提供をするってことは、これまでと違った形で生き続けることでもある。 もし自分が遺される側だったら、身内にどんな形であれ生きていてほしい。誰かにとって、ひとつの救いになることもあるのではないだろうか。