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とことん刻んで、煮て焼いて

時々、無心で料理をしたくなる。

とことん作りたい時には、常備菜作りに限る。なるべく日持ちしそうなものをどんどん作るのが楽しい。

先日はお出かけの予定があったのにもかかわらず、朝からゴリゴリ無心で作っていたせいで、危うく遅刻しそうだったくらいだ。

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手芸なんかも少し似ている。
とにかく頭を働かせながら手を動かす。

粘土や彫刻などの造形活動も、頭を働かせながら手を動かすという点では似ているが、あたまの働かせ方がちがう。

造形では、頭を使いすぎたり、逆に無になることも大切だからである。

適度に頭を使いつつ手を動かすというのは、とても気楽だ。

何より刻んだり揉んだり炒めたりという工程は、ストレス発散にもなるという実感もある。

いろんな感情を食材に投影して、具材を細かく包丁で刻んだり、油で炒めたりするのはスカッとする。

最近はパン作りにも挑戦していて、最初は失敗ばかりだったけど、最近は少しずつ食べれる範囲のものにはなってきた。

もちろんパンを食べることも楽しいけど、パン作りで1番楽しいのは生地をこねる作業である。

粘土造形と違って、ただこねていることができる。

だから、日頃のモヤモヤとか、魑魅魍魎の世界で起こる人間関係の鬱憤とか、仕事の悩みとか、漠然とした不安とかがある人ほど、料理はするべきなんだと思う。

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私は一人暮らしで、「どうぶつの森」を体現するかの如く、悠々自適な気ままな生活を送っているので、料理が楽しい。

でも、このことを主婦の友人に話したら「じゃあ毎日作ってよ」と冗談で言われる気がする。

きっと、得意不得意もあるだろうけど、必要に迫られてやるのと、作ることが目的なのとでは、気持ちに大きな差があるんだろう。

つまり、「とにかく家族に食べさせるため」という目的で、その目的のための作業として「料理をする」のと、「料理をする」というのが目的であるのとでは、気持ちの持ちようが変わるのは当然のことかもしれない。

私の場合、料理をすることが目的なので、出来上がったものが美味しいかどうかは二の次だ。

しかし、人に食べてもらうとなれば、やはり美味しいものを作らねばと思ってしまい、余計な気負いがのしかかっているんだろうな、と。

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不安になるとお菓子を作る人というのが一定数いるらしい。

私はパンを含め、お菓子のように「g単位を正確に計らなければいけないもの」があんまり好きではないのだけど、気分転換やストレス発散になるという気持ちは同様らしい。

クッキーの型をとるだけ、また生地をこねるだけの反復行動もマインドフルネスに似ていて、忙しい現代人は出来上がりばかりに触れているので、その工程を味わうことも脳のリフレッシュになるそうで。

なので今週は、パイを焼こうと思います。
もちろん冷凍パイシートで。


今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。