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我慢を続けて、鈍感になった

昨日は歩いていて、ずっと足が痛かった。

新しい靴を履いたわけでも、くじいてしまったわけでもない。しかし、歩くたびに爪先に痛みがあった。

理由は明白だった。
私は足の爪が伸びていたから。

手の指と違って、足の爪は見る頻度が低いし、ネイルをしていることが多いので、どれくらい伸びたのかが分かりにくい。

朝、家から最寄駅へ向かい歩いている途中で、痛みに気がついた。

そして、足の爪が伸びているのだということにも気づいたけれど、手の指と違って休み時間にちょっと切るということもできず、1日中この痛みとともに歩くことになった。

・・・

なぜ前日に気がつかなかったのだろうか。

爪なんて、一晩で劇的に伸びるわけはない。
同じ靴を履いていればこの2.3日くらいは同じ痛みを感じていてもおかしくはないし、1週間くらいは「なんか気になる」くらいの状態であったはずなのに。

ということは、昨日痛みが出たわけではなく、痛みに気がついたのが昨日だっただけで、本当はこの2.3日は痛かったんだと思う。

ただ、私がそれに気がつかなかった、というだけで。

・・・

以前、病院の先生に「あなたは痛みによっぽど強いか、鈍感かのどちらかね」と言われたことがある。

その時は、痛みに強いんだと思ってた。

なんでも精神論で押し切ってしまう父親に育てられ、部活では強豪校と呼ばれる学校に所属してスポ根アニメさながらの生活をしていた。

痛みは耐えるものだと思っていた。

だから、痛みに強くなったと思っていたけれど、本当は耐えて耐えて耐え続けた結果、痛みを感じないくらいに鈍感になってしまったような気がする。

私は我慢強い。

自己評価もそうだし、思い起こせば家族や学校の先生たちからも、よく「我慢強い子」と言われてきた。

生活の中で起こる大抵の嫌なことは我慢ができる。まぁ、本当に耐えて我慢する時もあれば、受け流すこともあるけど。

ただ、何かを我慢しすぎると、鈍感になってしまう気がする。

悪い意味で慣れてしまって、その痛みが当たり前のように感じてしまうのだ。

・・・

我慢美徳主義ではない。

私の場合は、我慢してことがうまく運ぶのであれば、その方がストレスがない。不用意に反発して波風を起こす方が、よっぽどストレスである。

ただ、やっぱり我慢も程度が大事だとは思う。

あんまり我慢しすぎると、痛みにも喜びにも、様々な感情に鈍感になってしまう。

それは、とっても辛いことだから。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。