見出し画像

個性は内面に求めていきたい

喫茶店で人を待っていた時のこと。

私の背後に大学生くらいのカップルが座っていた。特に盗み聞きをするつもりもなかったのだが、なかなか聞き捨てならん言葉が飛び交っていたので、つい耳が象のようになってしまった。

話をしている様子から、男の子の方が少し「付き合ってやっている感」が伝わってくる。

時折その彼女を否定するようなことを言い、女の子は嫌われまいと一生懸命改善する宣言をしたり弁明をしたり。

その中で、しきりに彼が彼女に訴えていたことは、「個性のなさ」である。

彼氏から見て、その彼女は趣味もなくファッションにも興味がないのが不満だったようで、「ドラゲナイ」を彷彿とさせるような赤い頭の彼には、黒髪ロングヘアで大人しそうな彼女を理解し難かったようだ。

高校生の頃からのお付き合いのようで、「髪型もずっと変わらない」とずいぶん不満そうだった。

そんな風に批判をされるたび、可愛らしい彼女の顔は苦しそうに笑っていた。

・・・

こんなにも個性を主張したい人々がいる中でも、基本的には人類なんて皆同じ格好をしている。

どんなに髪を奇抜に染めても、何個もピアスを空けても、そんな見た目の個性というのはほとんど誤差のようなものだ。

頭から足が生えていたら「違う個体」という意識が芽生えるのだろうが、その手の違いというのは先天的なものである。

それに人間には最初からそれぞれ違う。

そもそも内面の個性を持って生まれてきて、それは先手的ではあるが、個性は後天的に研ぎ澄まされていくのだ。

それは人や経験や環境によって、もともと違う個性の美しい部分を磨いていく作業であり、髪の毛の色や体にあいた穴なんかで個性を主張するのはお門違いである。

芸能人やアーティストが奇抜になっていくので、それを見ている人々はそこが個性だと勘違いをしている人もいるかもしれないが、それはあくまでも商品としてのビジュアルであることを忘れてはならない。

・・・

ちなみに、喫茶店にいた黒髪ロングヘアの彼女は、大人しそうに見えただけで、実は精神的にもこだわりも強い人だと推測している。

何故なら、このご時世に若者が黒髪を貫くことすら貴重なのに、ずっとロングヘアだという。

ロングヘアというのは、相当強い覚悟が必要だ。

伸ばし続ける意思を固く持ち、時々美容院へ行っても劇的にイメージを変えることなく揃える程度で我慢をし、シャンプーの減るスピードが2〜3倍になっても耐え、髪が痛まないようにケアも怠らず、毎日何十分もかけてドライヤーをする生活なんてよっぽどの覚悟や強さがないと無理なのだ。

きっと彼女に足りないのは、個性ではなく自信である。

まぁいきなり立ち上がってそんなこと言われても大迷惑な話なので、自信を持つことと視野を広げることができるよう、一応念だけ送っておきました。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。