答えは、素潜りの先に
noteを(ほぼ)毎日更新して今日で136日。
こんな書き出しで始めるには、中途半端すぎる数字ではあるが、ある気づきを記したい。
毎日更新をしているので「もうネタが尽きたから書けないな」「明日こそ、いよいよ書くことがないな」と思うことがあるのだが、結局毎日書き続け、今日に至る。
私は友人の勧めでnoteを始めたのだが、その友人が「無限に書ける」と言った時に、なるほど、私とは人種が違うのだと思い知らされた。
私は、半ば苦し紛れに「えい、やあ!」と、投げやりな投稿もしばしば。ひっくり返ってもネタが浮かばない日もザラにある。
だが、結果として毎日投稿出来てしまっている。クオリティはさておき、1000文字前後の文章を、年明けからは必ず毎日楽しみながら投稿できてしまったのは何故だろう。
その理由は…正直わからない。
それはもうがむしゃらに、とりあえず書くことを優先してきた結果だとしか言いようがない。
強いて言えば、やはり私は私なりに何かしら思考をしながら生きていて、搾りカスであれ、形になるくらいは頭を使っているということなのだろう。
じゃあ、これからどうしたらいいか。
まだまだ毎日書くためには何が必要か。
・・・
書けるときは書ける。当然のことだ。
私も、苦しい苦しいと言っている割には、日によってらスラスラ書けてしまう日もある。
この違いは、出発点にあると思う。
書くことに悩み、苦しむ時の出発点は、noteを開いてから「さて、何を書こうか」と考えるところである。何を書こうかと自分の頭の中の引き出しを探り、頭でネタを考えている時点で、その答えはどんどん闇の中へ沈んでいってしまうと思った方がいい。
この考えに陥ってしまうと、なかなか戻ってこれない。頭では「何を書こうかと言っている時点でダメだ!」と分かっていても、そこからすぐに抜け出す術がない。全力疾走後に呼吸をすぐに整えることができない感覚に近い。
そして、ようやく息を整え、闇の中からどうにかこうにかネタを絞り出したとしても、なんだか消化不良…ということもあるだろう。
例えるならば、これは金魚すくいタイプ。
反対に、悩まずスラスラ書ける時の出発点は、常に私の中の思考や気づきから、「あ、これnoteに書いてみようかな」「この思いを言語化したらどうかな」と、何気なく選んだ思いつきのネタを、日頃の生活や私の世界からnoteへ引っ張ってくるところ。
どんな小さなことでもいい。とりあえず選んできて、そのきっかけを紐解いていけば、自然と思考はついてくるものだと思う。
こちらを例えるなら、素潜りタイプだろうか。
水中の世界を、外から見てどれにしようかと選びながら、ポイを濡らして掬えるかどうかと模索するよりも、水中に潜って取れる魚をとりあえず取ってきてしまった方がいい。
魚を前にしなければ、捌き方も調理法も浮かぶはずがないのだ。
・・・
noteを書くために世界を見るのはつまらない。ましてや、他人様のnoteで己のnoteのネタを探すのはお門違いです。
視野を広げ、思考を広げるためには、
まず自分の世界に潜りましょう。
話はそこからです。
ネタに困った時の私へ。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。