見出し画像

そう、私は好きなのです

何かに強くハマったことがない。

小さい頃から、何か熱狂的にのめり込めるものはなかった。

もちろん好きな詩人や歌手、漫画くらいはあった。

けれど、思春期に入り周りの友人たちが、当時歌姫と呼ばれるような女性歌手やアイドル・ディズニーにハマっているような熱狂ぶりはなかった。

・・・

そんな彼女たちを見て「私はそちら側にはなりたくない」と思っていた。

切り抜きを下敷きにしたり、筆箱いっぱいにキャラクターグッズを入れるような、そんなふうにはなりたくないと。

しかし、時々心にモヤっとしたものを感じた。

そのモヤっとは「仲の良い友人たちがハマったものにハマれないから」と思っていたが、ある時「何にもハマれない私」にモヤっとしていたのだと気づいた。

好きなものに心を奪われるように、なりふり構わず「好き」と言えるようなものがないのは、我を忘れて熱狂的になる人と同じくらい恥ずかしいことのように思えた。

・・・

なぜ、好きなものを「好き」と言えなくなったのか。

この理由も気付いている。

「好き」と言ったものを批判されるのが怖い。
でもこうじゃない?とか、あれが好きなの?と自分の感覚やセンスを疑われることも避けたい。

そんなことをされるくらいなら、誤魔化して、隠している方がずっといい。

そして、そんな考えに至ったのは、私自身が「好き」を追う人たちを心の中で批判してきたからに他ならない。

え、あんなのがいいの?
ふーん、私は好きじゃない。

直接は言わないけれど、お腹の中にはそんな感情を隠し持っていたから、「自分もそう言われるのでは」と思うのだと思う。

以前主人と話していたのだが、主人は外出先でパソコン作業をしていると誰かに見られているような気持ちになって集中できないと言っていた。

一方、私は全く気にしない。

この違いは、自分が同じことを施しているという点にある。

主人は他人が喫茶店や電車内でパソコン作業をしている人がいたらついつい見てしまうらしく、私は全く気にしていない。

つまり、自分が施していることは、自分もされているのではないかと思ってしまうのだ。

・・・

熱狂的なのがいいとは思わない。
今でもそうはなりたくない。

ただ、今は他人の好きなものを否定することはなく、「人それぞれだな」と心から思うことができる。

だから、好きなものは好きと言えるようになろうと思う。

好きなものを聞かれて、
「今はこれが好き」と言えるようになりたい。

今なら何を聞かれても、自信を持って答えられる気がするし、「え?あれが?」と聞かれても「そう、私は好きだから」と笑顔で答えられると思います。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。