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ぽってりとした雲と副詞と私

私の会話には副詞が多いらしい。

note上では、なるべく多くの人に伝わるように曖昧な表現を(これでも)控えているつもり。だが、気の置けない友人や家族との会話ではそんな意識は持っていないので、よく分からないと言われることがたびたびある。

塾の講師をしていたときにも、雑談の中では乱用したらしく、生徒たちから「副詞的な表現が多い」と言われたことがあった。

日常的に使う副詞の中で、1番使うのは「ほんのり」だと、私の言葉を注意深く聞いて研究してくれた生徒がいた。

すると他の生徒も
「いや、「目がしょぼしょぼする」ってよく言ってない?」
「今日「まごまごするな」って言われたよ」
「基本的に擬音語・擬態語も多いんだよ、いろはちゃんは」
と指摘を受け、「ところで副詞って何?」ととぼけた発言が飛び出したことで、予期せず文法の授業に発展したことがある。

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江國香織氏の作品が好きで、高校生〜大学生まではよく読んでいた。

正直にいうと初めは苦手だった。
簡単には共感させてもらえなかったからだ。

高校生の頃は、何よりも「共感できるか」が大切で、小説において共感が出来ないとなると、一線を引きたくなった。高校生の私には、少し背伸びが必要だった。

しかし、これが江國香織であり、なんだかんだで彼女の作品が徐々に好きになってきていた。

それは少し恋愛に似た感覚だ。
「共感」が多い関係から始まると、少しずつ差異が生まれてきてしまう。しかし、彼女の作品はその逆だった。なんかちょっと理解することは難しいな…と思わせておいて、小さな「共感」を散りばめる。

罠にハマった感はあるが、おかげで大学生の頃はよく読むようになった。

彼女が直木賞を受賞したとき、私は高校3年生だった。その作品の中で《大きなマグに注がれたこっくりしたビール》という表現が出てきて、馴染みはないがすごく好きな表現だと思った。

「こっくり」は、辞書的にいえば「色合い・味などに落ち着いた深みのあるさま」という意味の副詞だけれど、そんなこと言われなくても何となく分かる気がした。

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教育現場、特に幼稚園〜小学校低学年までは、このような副詞表現を控えるべきだと言われている。

「きちんとしなさい」「ちゃんとしててね」

そんなこと言われても、何をどうすればきちんと・ちゃんとしたことになるのかが明確ではなく、子どもには伝わらない。

先日100円ショップへ行ったときに、一つおもちゃを買ってもらった4歳くらいの子が、お母さんに「それ買ってあげるから、これからママの言うことを聞いて、きちんといい子でいなきゃだめだからね?わかった?」と言われていた。

たった100円で言うことを聞かされるだけでなく、「きちんといい子」などという曖昧すぎる命令をされるなんて不憫に思えた。

しかし、「小学校低学年までは控えるべき」というのは、生活や読書から副詞表現なども得られる年齢という理由なので、今の世には合っていない気がする。

何故なら、圧倒的に読書量が少ないからだ。

口を開けばYouTubeで、読書をする子が本当に少なく、国語科の塾講師としては心配だった。

だが、現代の変化は悪いことばかりではない。

物語などの作品を読んで、「エモい文章を挙げてみて」と言ったとき、子どもたちの多くは多少曖昧でも副詞表現などを使った描写を挙げていたからである。

そもそも「エモさ」だって明確な基準はなく、曖昧なものではあるが、現代っ子ならではの感覚なのだと思った。

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あまり日常的には使えないけど、私の好きな副詞は「ゆめゆめ」だ。ドラクエでも出てきた言葉。

意味とかではなく、完全に音が好きなだけです。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。