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廃れてしまえ、謙遜文化

結婚するにあたり、両親同士の会話を多く聞いた。

顔合わせもの時もそうだが、手紙のやり取りなんかも逐一父が写真に撮って送ってくるのでなんとなく読んでいた。

両親同士の会話は面白い。

特に私たちが末っ子同士ということもあり、両家ともに心配な気持ちとそれでも喜ばしい気持ちとが綴られていたのだが、一つ違和感があった。

それは、謙遜合戦であったこと。

もちろん「うちの息子は素晴らしい人間だから、大船に乗った気持ちでいろ」「うちの娘こそ、最高の嫁になるので嫁ぐことを幸せに思ってくれ」などという必要はない。

謙遜だって必要だ。

しかし、文化としてそれを当たり前にすることで、何か食い違っているような気がしてならなかった。

「優しさしか取り柄がない」と書かれた彼も、「愚女」と称された私も、ちょっとかわいそうだ。

・・・

成績とか、成果とか報酬とか、目に見えるものを自慢する必要はない。むしろそういう類のものは、控えめに言う「謙虚さ」はあって然るべきだと思う。

ただ、性格とか心根とか、目に見えないものを謙遜するのはやめるべきだ。

いくら謙遜と分かっていても、誰も良い気分にはならないからだ。

そして過度な謙遜は、時に不快になる。

年収1億ある人が「言っても税金で引かれるし、貧乏だよー。毎日もやし生活で。」などと言えば、顰蹙を買うことは目に見えている。

あるものを、ないことにはできないのだから。

・・・

特に私の家族、特に父は謙遜を通り越して家族を悪く言いがちである。

気持ちは分からんでもないが、聞いている方も「そんなことはないでしょう」と気を遣わせるし、蔑まれた私たちも気分は悪い。

かたや、彼とお父さんは手紙では謙遜もあったが、実際にお会いした時は、家族のみんなを適度に肯定し、信じ、良く評価をしている姿が印象的だった。

こんな人と家族になれたらいいな、とすぐに思った。

謙遜文化は、廃れればいいなぁと。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。