綺麗な滝の汚い礫
人との縁について考えてみる。誰しもが「世間は狭いな」と感じることや「漫画のような出会い」というものを経験しているだろう。
昨日は仕事で大学の先生のところへ訪問。
私はこの先生と縁を感じており、お互いに様々な立場で再会をしている。
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はじまりは、私が学生の時。当時在籍していた学校の非常勤講師として先生と出会った。はじめから特別な縁を感じていた…ということは全くない。ただ、先生の授業は本当に楽しくて、よく職員室へ行き他愛のない会話をした。
週に2回しか学校には来ない先生だったが、回文が好きだという先生のために、ネットで調べた珠玉の回文を書き出してみたり、てんとう虫の話を聞いては絵を描いて「天道虫」の由来なんかを書き添えてプレゼントしたり。
しかし、個人的に連絡を取るということはなく、私が卒業すると同時に接点は失われた。
2回目の出会いは、同僚としてだった。私は卒業した出身校で働くことになり、この頃には先生は非常勤講師ではなく専任講師となっていた。まさか一緒に働ける日が来るなんて…。帰り道も同じ方向ということもあり、仕事終わりに「ちょっと…1杯だけ(先生の口癖)」と言って、飲んで帰ることもあった。
ここでは仕事の話だけでなく、プライベートな話もするようになった。「男の傷は、男で癒すのよ」とチャーミングに学生へアドバイスするような気さくな先生を、私は姉のように慕っていた。
先生と先生のお子さん(女の子2人)とで伊豆旅行をしたこともある。先生の誕生日が近かったこともあり、子どもたちとこっそりプレゼントとケーキ、バースデー式紙を用意したりなんかして。
そうやって様々な時を過ごしていく中で、最初の出会いは、私が学生時代の時ではないことが発覚する。
実は私が通っていた幼稚園で、同時期に先生も幼稚園教諭として働いていたのだ。担任ということでもなく、私も1年と経たずに引っ越しをしたので、覚えていないのも無理はない。まさに衝撃の新事実だった。
だが、一緒に働く楽しい期間も束の間、3年という短い期間でお互い転職をすることとなった。同時期の退職となったため、職種も業種も異なる新たな場所へと踏み出した。
"時間を見つけて会おう"とは思っていても、これがなかなか難しい。頑張れば会えるが、頑張らなければ会えない距離というのは、少しずつ広がっていくように思えた。
さすがにもう…と思っていたが、まさかの形で再会。今回は准教授となった先生に、仕事の依頼をすることになったのだ。
そして一緒の学会に入会。
もはや切っても切れない縁である。
私は無宗教である。ただ先生との縁は、前世からの因果があるものだと感じざるを得ない。この関係はつくづく不思議なものであると感じた。
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思い出が増えると思い出す機会は必然的に増えるものだ。
回文、てんとう虫、白のダウンコート、あんころ餅、プロント、「一杯だけ」。
これら全て、先生がいる。これらを見聞きするだけで、「あ、先生は元気かな?」と思い起こす。先生は何を見て、私を思い出してくれているだろうか。
今日のタイトルは私の好きな回文。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。