人は物語を求めている
祖父母の家のトイレに、シミがあった。
私は帰省してそれを見るたび、女性がダンスをしているように見えた。体をくねらせ、たっぷりと生地を使ったスカートをひるがえして美しく踊る女性だった。
小さい頃は、私だけがこの女性を見つけられたような気持ちになり、誰にもそれを言ったことがなかった。
大人になってから母と姉にその話をしてみた。
すると、そのシミは母にとってはかぼちゃに、姉にとっては不格好な蝶々に見えていたということがわかった。
そんなにも違うもの…と思った。
そして、私だけに見えていたと思ったら美しくダンスを踊る女性は、紛れもなく私だけに見えていたものだった。
・・・
ロールシャッハ診断というものをご存知だろうか。
紙の上へ無造作にインクを落とし、それを2つ折りにして広げることにより作成されたほぼ左右対称の図版をつくる。
それを見て「何に見えるか」を答えるものだ。
その答えの言語表現や思考過程を分析することで、その心理状態や障害の程度などを診断する心理テストのようなもので、スイスの精神科医・ヘルマン・ロールシャッハによって考案された診断方法である。
心理学は専門じゃないので、概要程度しか知らないのだが、この診断から思うことは人は物語を求めているのではないか、ということだ。
無造作に垂らしたインクに意図も意味もなく、被験者が勝手に物に見立てるという構図は、実生活にも起こりうることである。
例えば、何気なく言われた言葉を深読みして、そこに意味を見出したくなることはないだろうか。
言った本人は特に狙いはないのに、「あれはどういう意味だったのか」と何日も頭から離れなくなるようなことは、多かれ少なかれ一度は経験があると思う。
きっとそこには、「この世に意味のないことなんてない」と思う気持ちや、自分の人生に物語を求める姿勢があるからではないか。
厳密に言えば、何気ない言葉や無意識の発言にも、深層心理の中では考えていることがあって、心理学者に言わせれば「意味はある」ということになるんだろうけど。
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人は物語を求めている。
これはきっと間違い無い。だからこそ、生産者の顔が分かる野菜を意識的に買ってしまう人や、「いつ」「誰と」「どこで」を考えて服を選ぶというようなことが起こるのだ。
でも…
人が物語を求めているのではなく、
もしかしたらこの世界は物語が溢れているのかもしれない。
その方が、きっと楽しい。
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