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お薬に求めているもの

中学3年の男児と話していたときのこと。

この子は、以前勤めていた塾の担当生徒で、今でも時々ボランティアのような形で家庭教師をしている。

ついに来年控える受験に向けて、今が頑張り時なのだが、小さい頃から柔道を始め、今でも続けているので、稽古の後に勉強するとなると大変かも疲れがピークに達し、全く捗らないとのこと。

そこで、疲れの取れる薬を飲んでいるらしい。
その薬は水に溶かして飲むもので、いろんなフルーツフレーバーがあると。

なんとも胡散臭く、その歳で必要なのかと思ったがまずは最後まで話を聞くことにした。

彼は、疲れの取れる薬のはずなのに、あまりに不味くて余計に疲れてしまい、意味もないどころか、むしろ飲まなきゃよかったということを言いたかったらしい。

ただ、やはり最後まで聞いてもどうにも納得ができず、聞いてみることにした。

その歳で必要なのか。

もちろん、柔道の稽古が疲れることはわかる。彼は都内でも表彰台に立つこともあるくらいの実力で、とても頑張っていることも知っている。

けれど、未だ15歳にもなる前に「疲れを取る薬」なんて使っているようでは、本当に体力が落ちてくる大人になったときに大変じゃないのか。どんな薬を飲んでも効き目が実感できない体になってしまうのではないかと言った。

すると彼は、間髪入れずにこう言った。

「効き目は求めてないんですよ」

…はて。効き目を求めずに薬を飲むなんて聞いたことがない。

頭の上に「?」を飛ばしながら不思議そうに彼を見つめていると、「そういう薬を飲んでいるという実感が欲しいんです」と続けた。

・・・

学校の養護教諭が、生徒に薬を与えることが医療行為になってしまうので、その代わりによく効くサプリなんて言ってフリスクなどのタブレットを飲ませるという話を聞いたことがある。

まぁ多くは心の問題のことが多いらしいが。

ただ、驚くことに8〜9割の子が効き目を感じ、保健室を出ていくというから驚いた。

彼も、そういう効果を狙っているのだろう。

本当に効果かあるのかどうかは分からないが、薬を飲んだという事実で安心を得ようとしている。また、結果的に本当に効いているような気持ちになるので、なんの問題もないらしい。

そこまで分かっていて薬を飲む人がいるなんて、私は知らなかった。

・・・

「全米が泣いた」「感涙間違いなし」のコピーにつられて本を読む人が、何でもかんでも泣いちゃうのも似たようなものだろうか。

もちろん「そんなコピーを信じない」「嘘くさい」と、はなから疑って宣伝広告を見ている人は別。

ただ、そういったコピーの言葉に惹かれて本を手に取る人は、読む前から既に、他人によって感情を作られてしまっているんじゃないだろうか。

疲れが取れると信じて薬を飲むように、絶対泣けると言われて泣くことに、私は意味を感じない。

ちなみに、私の心の師匠は「泣いて思考を止めるな」と言っていた。泣いたら「悲しい」という浅く安っぽい感情しか得られない。

効いている気がする。
悲しい気がする。

それを求めてるからいいんだと言われれば何も言えないけれど、本当にそれでいいのかな…と。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。