見出し画像

「楽」に潜む落とし穴

「学ぶことは真似ること」
という言葉を聞く。私も「ただ模倣するだけでなく、自分にない技や技術を盗むのだ」と、部活の顧問によく言われたものだ。

真似ることは得意な方だと思う。
というのも、私は幼い頃から書道を習っていた。書道というのは、お手本通りに書くことが出発点である。手本を見ながら、全体のバランスを整えて、とめ・はね・はらいはどのように、どの方向になのかを忠実に再現できるよう書いていく。

また、模写をすることも趣味のひとつだ。書道との大きな違いは、書き順が分からないところである。どこから書くかはある程度自由になるが、様々な絵を真似していく中で、自ずと分かることもあるから不思議だと思う。

私は幼い頃から、宮崎駿のジブリ作品が好きだった。キャラクターを真似して描き続けると、今度は手本を見なくても描けるようになっていく。これが嬉しかった。

書道も模写も共通して、上達は早くなると感じた。真似ることは、試行錯誤をして答えを見つけずとも、既に答えはあるので、どのように再現するかに注力すればいいから楽である。

ただやはり「楽」に潜む落とし穴はある。

例えば絵の場合、美術の時間で「好きな絵を描く」ということが苦手だった。「描きたいもの」が全く浮かばないのである。それでも中高時代はなんとか誤魔化すことができたが、大学ではそうはいかない。模写しかしてこなかったことを見抜いた教授に目をつけられ、抽象画を描かされることが多くなった。あの日々は、本当に辛かった。絵画を専攻にしていたらと思うとゾッとする。

真似は真似でしかなく、自分のものにするためにはやはりどこかで苦しみが伴う。真似は用法・用量を守って正しく真似をしないと、「真似しかできない」ようになってしまう。

とはいえ、やはり真似することを否定するわけでく、むしろ推奨したい。ただ、「技術」を真似するのであって「発想」を真似するのではない。これだけは履き違えてはならないな…と。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。