見出し画像

一筋縄ではいかぬもの

最も予想が難しいのが人間関係だと感じている。

転勤を繰り返した幼少時代、「離れていても友達だよ。手紙も書くね。」と泣きながら別れを告げた友人とは、引っ越しをしてから一度も会っていない。

また、そんなドラマチックなことこそ言わないけど、なんだかんだいつも一緒にいた友人こそが生涯の友となるのかと思っていたが、その子に関しては今どこでなにをしているのかすら分からない。

かと思えば、最近よく連絡が来る大学の後輩は、大学時代に2人でご飯に行ったこともなければ、プライベートな話をしたこともない、ただの部活の後輩。

卒業したらそれっきり会うこともなかろう…と思っていたが、今年に入ってから2度ご飯にも行ったし、悩みがあるたびに相談を持ちかけるLINEが届く。

先読みを放棄しているわけではない。
ただそれほどまでに、人間関係というのは先読みができないように仕組まれているのではないかと考えてしまう。

・・・

将棋の棋士たちは、何十手先を読むプロである。

あの羽生善治棋士は、常に10〜15手先を読み、さらにそれらは枝分かれしていくので、ひとつの変化だけで千単位の手まで先読みし、把握しているという。

しかし、そんな将棋の名人たちも「まさか」と思うような人との出会いや人間関係の変化があるに違いない。

もちろん、刹那的な予測はする。

こう言ったら相手はこう思うだろう。
私がこうすれば、相手はこうするのではないか。

特に仕事においては、こういう予測を立てながら話を進めることが多いので、全くできないわけではない。

しかし、それがプライベートな人間関係となると話が変わってくる。意図した行動をとってもらえなかったり、予測が外れることはザラにあるし、実はそういうことの方が多いのではとも思う。

そして、どんなに努力してもうまくいかない時はうまくいかない。逆に頑張らなくてもうまくいくときはうまくいく。

そんなもの。
人との縁は、本当に不思議なものだ。

・・・

私にとって、noteや創作も同じだ。

例えば、今日のnoteは「昔の友人は今なにをしているのか」を考えようと思って書き始めたのに、最終的な結論が「人との縁」に着地した。

つまり、人間関係はもちろんpein pein や創作活動も、予測はできても操作ができないものなのだ。

一筋縄ではいかぬもの。
だから楽しいんだろうな、と。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。