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人を魅力的にするものは…

盆栽において、壊死して枯れた部分を持ち合わせているものほど、その価値が高くなる。

自然の中でも、木の一部が白骨化している物を見たことはないだろうか。風や落雷などのせいで木の表面が剥ぎ取られ、引き裂かれた状態で風化すると白く朽ちていくのだ。

盆栽の世界では、幹の部分に白骨化が見られるものを舎利(シャリ)、枝先などの細部に見られるものを神(ジン)と呼ぶ。

ちなみな、舎利とは釈迦の遺骨の事、神は名前の通り「神仏」を意味する。

こんなありがたい名がついたのも理由がある。

この舎利や神の枯れ朽ちて壊死している部分を残しながら生き生きと立つ盆栽は、「生と死の共存」を意味しているからだ。よって、今でも舎利や神が見られる盆栽は、高い値打ちがつくのだそうだ。

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私は過去を振り返り、もう2度とこんな経験をしたくないと思う時期がいくつかある。

中でも高校3年間は、辛くて仕方がなかった。

私は中学から始めたソフトボールの強豪校から、特待生として受け入れられた。「入学金・授業料の免除」と言う条件は、当時単身赴任をしていた父と母の負担を少しでも減らせるのではないかと考えたのである。

とはいえ、中学2年の時からソフトボールに対してやる気を失っており、高校に入ったら絶対に続けないと決心していた。

しかし、そんな条件でスカウトを受けるなんて滅多にあることじゃないと周りからの後押しもあり、4校ほどスカウトは来ていたが、条件・実力ともに1番良かった高校への進学を決めた。

これが地獄の始まりだった。

少し考えればわかることだが、やりたくないと思っていたスポーツのトップレベルの練習は、苦痛でしかなかった。

さらに言えば、特待生で入学しているので、退部はすなわち退学を意味すると思っていた。(実際はそこから授業料を払えば、出来ないこともなかったらしいが)

練習がキツいなんていうのは当たり前で、実際には精神的に追い込まれることの方が多かった。

練習する表情が悪いとなれば、「そんな顔で練習するな、草で顔を洗ってこい。緑になるまで帰ってくるな。」と言われ、グランドの隅にある草を手でこねくり回して顔にすりつけ、その顔のまま練習を再開させられたり。

声が小さいとなれば、「セミより小さい声で試合に通用するわけがない。グラウンドにある全ての木で30秒間セミの真似してこい。」と言われ、必死に「ミーンミンミン」と言ってそれぞれの木を渡っていたら「次はツクツクボウシで」なんていう無茶振りをされたり。

まぁこんなことは日常茶飯事で、私だけでなく部員全員がやらされることだ。

それにこの手のことは、青春真っ只中の女子高生からしたら屈辱以外の何物でもないが、チャップリンの言葉を借りれば「近づいて見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇」と言ったように、今思えば笑える話だ。

しかし、辛いのはここから。

例えば、お互いに注意しない関係をひどく指導された。「チームメイトの悪いところを注意してあげないことは、チームメイトを見捨てることと同意だ」と。

だからこそ、練習試合中でも練習中でもお互いの悪いところを言い合うことが出来なければ、ペナルティが課された。

そのペナルティは、失敗をした子ではなく、注意できなかった他のメンバーから監督がランダムに指名し、腹筋100回だと倒立10分だのをさせられる。

腹筋で足をおさえたり倒立で支えるのは、失敗をした子だ。

それだけでなく、ペナルティの間は常に相手を罵らなければならない。「お前が教えてくれないからいけないんだ。見捨てるなんてチームメイト失格だ」と。

それは同級生から選ばれるというわけではない。先輩も後輩も関係なく選出される。

やられる側もやらされる側も見ている側も、全員が苦痛の時間なのである。

日に日に心は壊れていった。
ただご飯を食べていても涙が出る日が続いた。

仲の良かった友人との帰り道、「死ねば辞められるよね」という今考えればとんでもない発言も、その頃は確かにそうかもと自然に受け入れられた。

しかし、人身事故で電車が止まったりするたびに、勇気があるなと思った。どんなに辛くても、走ってくる電車に飛び込む方が、私にとっては遥かに勇気のいることだった。

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泣きながらパンを食べた者でなければ、人生の本当の味は分からないと、ゲーテは言った。

人生の味をまだ分かっていない私としては、「泣きながらご飯は何度も食べたけどな」と思うだけだが、辛い中にも学びはあるということは身を持って知ることはできた。

そして世の中には、もっと不条理で、もっともっと辛いことがあるんだろうな…と思う。

正直、こんな個人的なエピソードを書くつもりはなかったので、書きながら自分が動揺しているが…。

ゆるゆるふわふわ生きてきた人間よりも、心の壊死した部分を抱えていたり、泣きながらご飯を食べた人の方が、魅力的だと言いたいのです。

その辛さも糧にできるか否か。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。