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正しい判断は、正しく見ることから

物事を正しく見る。
こんなに難しいことはないな、と思っている。

私的な感情や先入観にとらわれることなく、真実のみを捉えて、判断できているなんていう自信はない。もののけ姫風に言って「曇りなき眼で、見定め決める」ということは、私にとってもはやファンタジーである。

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あるビジネスセミナーに参加した時のこと。
その日はオーラルコミュニケーションに関するセミナーだったのだが、仕事上のコミュニケーションでは常に「どうやって相手を動かすか」を考えて発するべきであるという話をしていた。

何をさせたいのか、何を考えてほしいのかを明確にし、その行動をさせるための言葉選びが大切であるとのことだった。

話し手としては、それでいいかもしれない。
しかし、聞き手としては怖いな、と思った。相手の意図する通りに、言葉を鵜呑みにしてしまっては、正しい判断が困難になる。

真実がいつも一つでも、それをみる人間の解釈によって意味が変わってくるからだ。

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イソップ寓話のなかで、「3人のレンガ職人」というお話がある。

ある旅人が道を歩いていると、3人のレンガを積んでいる職人に会う。その旅人は、彼らに会う度に「ここで何をしているのですか?」と聞く。

1人目は「レンガを積んでいるのさ。毎日毎日、なんで俺がこんなことをしなきゃならんのだ。」と、辛くて不公平だと答えた。
旅人は、「それは大変ですね」と慰めの言葉をかけ、歩き始める。

次に会った2人目は「大きな壁を作っているのだ。」と言った。
旅人はまた「大変ですね」と声をかけると、家族を養うために仕事があることに感謝しており、旅人は労いの言葉をかけ、また歩き始めた。

3人目に出会った職人は「歴史に残る偉大な教会を作っているのさ。」と答え、教会の完成やそこに訪れる人々の幸せまでをもイメージをし、目を輝かせながらレンガを積んでいた。
旅人は、お礼を言って歩き始める。

この話はビジネスの世界でもよく用いられ、「何をモチベーションに働くか」ということが度々話されるが、私は旅人に注目したい。

3人ともに、レンガ積みという全く同じ仕事をしているにも関わらず、1人目には慰めの言葉を、2人目には労いの言葉を、3人目には感謝の言葉を言ってその場を後にする。

モチベーションの違う3人に、違う言葉をかけるというのは当たり前なことかもしれない。ただ、気をつけなければならないのは、解釈の違う3人の話を聞くと、それぞれ違う仕事をしているかのように聞こえてしまうことがあるということだ。

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昨日、髪を巻いて出勤すると、職場の博学おじさんに「今日は髪がふわっとしていて、いつもの雰囲気が違うね」と言われた。いつもと違ってどうですか?と聞くと、「いや、僕は見ているままのことを言ったまでで、良いとか悪いとかは言わないことにしている」と戯けて言った。

仏教の世界では、これを「正見(しょうけん)」というらしい。私はあまり仏教には詳しくないが、その博学おじさんが続けて話をしてくれた。

お釈迦様の説法で、悟りを開くために行う8つの修行「八正道(はっしょうどう)」というものがあり、この1つ目が「正見」であるとのこと。そして、この事実だけを捉えて話すことにしなければ、このご時世、褒めても貶しても「セクハラ」と言われかねないので、気をつけなきゃいけないと言った。

…なんか味気ないけど、仕方がないか。
ただ褒めてほしいだけなのにと思う一方で、テレビのニュースや報道にこそ、この味気なさが必要なのでは、と思ったり。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。