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寝ぼけた朝の街が好き

通勤経路に、新しく緑の多い広場ができた。

これまでずっと工事をしていたのだが、ようやく完成し、その周りを取り囲むように飲食系の路面店がオープンした。

広場の中央は芝生の傾斜になっていて、その傾斜を利用して石で出来た平たいベンチのようなものもある。

とはいえ、私が出勤するときにはどの店も閉まっている。よく整えられているので一見は洒落なのだが、朝は心なしか芝生の芝さえまだ寝ぼけているようで、色もくすんだ黄緑色に見える。

中央のベンチでは、サラリーマンがコンビニで買った朝ごはんをムシャムシャしてる。

うってかわって、帰宅時にはオープンテラスで飲食をする人々で賑わい、緑の広場もおしゃれにライトアップされる。緑が緑として生きているという力を感じる。

ベンチには仕事終わりの、少し華やかな人たちがお酒を飲んでいたり。

朝と夜で表情が異なる場所が通勤経路にあると、とても不思議な気持ちになる。そして、私の気性のせいなのかは分からないが、なんとなく朝の寝ぼけた広場の方が落ち着く。

夜には華やかな場所になるのに、なんとなく素顔を見ているような気持ちになるし、帰宅時には例の如くライトアップられてキラキラする広場が、なんとなく背伸びして頑張っているような。

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街にも表情があるし、人のように寝たり起きたりすると思う。

私が夜のネオン街や華やかな空間に多少の拒否反応があるのは、本当は眠たい街を無理やり起こしているような心持ちになるのもあるはず。

その点、朝の街は好きだ。

太陽に起こされ、眠たいながらも朝日を浴びて心地よく感じでいる気持ちを共有しているような気がして。

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小さい頃、長期休みに祖父母の家へ行くと、朝6時前には家を出て、町内を散歩しながら公園へ行き、6:30から始まるラジオ体操のお供をしていた。

両親や兄弟はまだ寝ていたり、家でダラダラしていたけれど、私は祖父母にくっついて行った。

あの頃から、朝は何でこんなに気持ちいいのかと考えていたけれど、ひょっとしたら見える世界と同じ気持ちになれるからかもしれない。

眠たい目を擦りながらも、新しい1日の光を浴びて、心地の良い気持ちに。

そんな気持ちに、一緒になれるからから。


だから、私は寝ぼけた朝の街が好きです。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。