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日々、失われゆく情操

私は、私の情操を養っている。

情操教育なんて言葉をよく聞くが、これは子供だけに限ったことではない。

実際は子供のうちに、つまり脳味噌が柔らかく脳の臨界期と言われる9歳半までに養うと吸収しやすく効果的というだけであって、情操は大人にも必要であり、養うに越したことはないのだ。

だから、私にとってはnoteもその一環である。

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一言で情操と言っても、その要素は4つあると言われている。

1つめは道徳的要素。
社会の中で生きていくために必要な協調性や親切心などに代表される道徳心のこと。

2つめは美的要素。
美しいものを見て美しいと思えたり、絵や音楽から豊かな感性のこと。

3つめは科学的要素。
「何故?」「どうして?」という疑問をもち、自分でも心理を追求しようとする心のこと。

4つめは宗教的要素。
神や仏の教えに触れたり、墓参りなどの宗教行事に参加することで、命の大切さを知ること。

この4つの要素を合わせて情操という。

冒頭で「情操は子供に限ったものではない」と述べたが、こうやって要素を分解してみると全てを十分に兼ね備えている大人がどれくらいいるのだろうか、という疑問があるからだ。

私の目から見て、私を含めた大人たちが皆「十分に」情操を備得ているとは思っていない。

そして、これは皆が元々ないというわけでなく、大人になるにつれて失っていくものもあるのではないかと考えている。


人の心をやたらに傷つけてはいないだろうか。

昨日、いくつのものを美しいと思えたか。

他人に流され、思考の答えを他人に求めていないだろうか。

誰の命も、心から大切だと思っているか。

当たり前のことを、当たり前にできる人というのはどれくらいいるのだろう。


そう思うと、やはりnoteで情操を養うことは大いに可能だと思う。

他人に見られることを前提に記事を書き、他のユーザーと一定の距離を保ったまま交流を深めることができる。

美しい文章・絵・写真に触れる機会がある。

人の思考を覗きつつ、自分でも記事を書くことで思考の整理をすることができる。

…宗教的となると難しいけど。
でも人によって使い方は様々あれど、やはり少なくとも他のSNSに比べて情操を養うにはうってつけなのではないかと。

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ただ、そもそもnoteは人の情操を養うことが目的ではないということはわかっているけど。

でも、使い方は人それぞれということで。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。