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たぶん私はカミナリの子

沈黙は金、という言葉がある。

余計なことをベラベラと喋るよりも、時には黙っていた方がいいという意味で使われるが、主にイタリアを中心とした海外で使われるこの言葉には続きがある。

沈黙は金。雄弁は銀。

こう見ると雄弁であるよりも、沈黙を守る方が良いと思ってしまいそうだが、実は反対であるという説がある。

この言葉が生まれた頃は、金よりも銀の方が価値が高く、沈黙よりも雄弁を讃えた言葉として使われていたという。

しかし、現在の世では金の価値のほうが高いという認識が一般的で、メダルの順番などを見てもその認識は世界共通であるため、モノの価値が変わったことによって意味も変化していった言葉である。

沈黙と雄弁。
どっちがいいんだろう。

・・・

私は肝心な時に言葉が出ない。

自分の感情を人に伝えるというのは、誰だって 勇気のいることだとは思うが、私は人並み以上に躊躇してしまう。

しかし、言葉が出ず、態度は出る。

私の言葉と態度は遠くで鳴るカミナリのようだ。ついピカッと光ってしまって、遅れて言葉が出てくる。ゴロゴロと言い訳のように。

だから、上手く話せる人が羨ましい。

沈黙は金だなんて嘘だ。
結局、人を動かすのは、人の心を揺さぶるのは言葉じゃないだろうかと思っている。

態度だけで人は動かない。
結局言葉がなければ、確証も得ることはできない。言わなくても分かることももちろんあるが、根拠はなく、それを埋めるのは言葉でしかない。

言わなきゃわからない。

しかし、果たして雄弁である必要はあるか。

これは、あくまで私個人の経験でしかないが、雄弁に話せばボロが出てくるものである。

そもそも話をするのが得意ではないので、焦ってしまう。すると、冷静さを欠き、余裕がなくなり、余計なことまで話してしまって、あとで後悔することも。

ボロが出るくらいなら、黙っていたほうがいいのかとも思うが…と、また振り出しに戻る。

そう考えると、時には金が必要で、ここぞという時には銀も必要。どっちも持っていたらそれは素晴らしいことだけど、常に持ち合わせ、身につけているのは不自然。市場価値が変わっていく中で、時と場合によってはどちらが必要になるか分からない甲乙つけがたいもの。

沈黙と雄弁も、そういう関係なのではないだろうか。

・・・

相槌は銅。鶴の一声のプラチナ。

そんな感じで、並列の関係だと思ったほうが腑に落ちる。

ピカッとするのは態度ではなく、気の利いた言葉だったらいいのに。肝心なところで、的確な言葉で、相手の心を刺すことができたらいいのにな。

私が欲しい「とっさの一言」は何に当てはまると思いますか?

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。