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思ったことは、声に出すべきか

思っていること・考えていることも声に出さなければ、思っていないこと・考えていないことと同等だという考えがある。

たしかにnoteを始めて、自分の思考を毎日書くことで、これまでの生活では足りなかったと感じることはできている。しかし、声に出すこと、文字にすることをしたいなかったとしても、思考していなかったというわけではない。

思考が浅かったという方が的確だと思う。

だから、思ったことは声に出すべきだ。
本当にそうだろうか。

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「言いたいことはいいなよ」

「思っているだけでは意味がないよ」

これまで生きてきて、幾度となく言われてきた言葉だ。

先日も会社の仲の良い同僚と話していたのだが、「言いたいことがあるのに言わないのは、思っているだけの卑怯な奴だと思っている」という言葉を聞いて、ドキッとした。

そんな風に考えている人もいるのか、と。

しかし、たとえ言いたいことがあっても、私はすぐに言わない。特に、人への怒りや不満・指摘などは、必要以上に吟味をし、自分の中で「感情」と「理性」とどちらが勝っているかを考え、「理性」が先行している時に限り声に出すようにしている。

特に女性の間で行われる「そう思うなら言っちゃいなよ」の背景は、不平不満であることがほとんどだ。しかし、それを感情に任せて伝えたところで、事態が好転した現場を、私は見たことがない。

言いたいことを言えば、得たい結果を得られる、そんなものはファンタジーである。

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「思っていること」と「言いたいこと」の区別がついていない人が多いと感じる。

ただ思っているだけで満足しているのに、「言いたいことがあったら…」と言われても、そこに「声に出して伝えたい」という意思はないのに、勝手に変換されることもしばしば。

そして、「言いたいこと」の根拠が「自分の感情をすっきりさせたい」というような自分本位の人も多い。

もちろん、それを否定するわけではない。私も思考をスッキリと整理させることが心地よくて、毎日noteを更新しているようなものだから。

しかし、私が出会ってきた「言いたいことは言うべき」派の方々の多くは、「相手のためを思って」という大義名分をまとってその意志を固くしているが、客観的に見るとそんなのは口実で、まぎれもなく自分本位であるという事実に本人も気づいていない気がする。

だからこそ、自分本位の言いたいことを言ったところで、得たい結果を生まない。これは、ほぼ間違いないと思う。

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もちろん、何でもかんでも黙って受け入れろということはない。

我慢ならないくらい嫌なことは「嫌だ」と伝えるべきだし、周知させるべき気づきもある。好きな人には「好きだ」と言ってほしい。聞きたいことは、その場で聞くべきだ。

しかし、我慢の全てが悪いことだと思う人が多すぎる。多少の我慢もできない人を増殖させるから、不平不満が蔓延するんじゃなかろうか。

感情が先行している時に事態は好転しない。
理性が勝るのを待ち、冷静になったうえで得たい結果を得るために必要な行動を考えたほうが、ただ不平不満を垂れ流すより、ずっと意味がある。

得たい結果があるならば、「言いたいこと」を言う前に、すべきことがあるのではないでしょうか。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。