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信じるべきは人間味あふれる人

私は私を甘やかすのが得意である。

昨日はリハビリのため、100メートルを5本歩こうと決めていたけれど、3本でまぁいいかという気持ちになって、4本目行ったら最高!優秀!一等賞!と自分をおだてまくり、渋々行ったはいいが、結局5本目は行っていない。

今できる限界だったと許してあげることにした。

実際のところ、少し休んだ後に頑張れば行けたような気がする。なんなら、夕食後に「5本目行っちゃおうかな」と思ったのだが結局は行かなかった。

「行かなくていいよ」

そう言って引き止める私がいる。
嗚呼、なんと人間らしい私。

・・・

入院中に、看護師の皆様に対して信頼できると思った要素の1つは人間らしさが垣間見えたからである。

いい加減と言うことではない。
責任ある看護師というお仕事を全うしている中で、チラッと見える個人差が嬉しかったのだ。

例えば、毎日看護師の皆さんが私のお腹の傷口の様子を見てくれる時。

毎朝毎晩、日勤の方と夜勤の方がチェックしてくれて、1日少なくとも2人の看護師さんに見ていただいたのだが、決められていること以外の部分でその人らしさが出る。

私が醜いお腹を自ら開くまで待っている方。

丁寧にそーっと開き、同じ手順で下着も寝巻きも直してくれる方。

開けるだけ開けて、寝巻きのボタンもそのままに帰っていかれる方。

本当に皆様々で驚いた。

ここにマニュアルはないんだろう。
個人の判断に任せられている部分なんだろう。

ここで大切なのは、こんな対応したから好きとか嫌いとか、良いとか悪いとかということではない。

皆とても良くしてくれるし、決められたことを決められた通り行ってらっしゃる頼れる看護師さんであるということが前提にある。

そんな人たちが些細なところでチラッと見せる人間味に「機械ではなく、人間に看護してもらっている」と感じることができるのだ。

・・・

私が、完璧な人・自称完璧主義の人と仲良くできない理由はここにあるんだろうな、と思う。

そして、不完全であることを「人間味」という言葉で表現することが正しいかどうかはわからないけど。

機械的に決められたことや言われたことを全て完璧にこなす人より、ちょっと抜けてたり、たまに出来ないところが見えた方が、信頼できるなと思います。

そんな素敵な看護師さんに支えられ、今日退院します。


今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。