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心の幼さを分解してみた

火曜日から入院をしている。

水曜日に手術をし、今日で入院4日目になるのだが、ここまできたら心も体も「本物の病人」になってきたなと感じる。

入院前や手術前までは、自分が病気であるという認識はあったけれど自覚が足りなかった気がする。どこか他人事で、不安はあるけどぼんやりしたものだった。

しかし、実際に手術をし、体の痛みや体調不良を自覚し、酸素マスク・点滴・心電図・右手首の患者用リストバンド、ありとあらゆるものが私を「本物の病人」にした。

見えるのは、天井とカーテンレールから伸びる薄いピンク色のカーテンだけ。

1人では起き上がることも、歩くことも、トイレへ行くことも出来ない。その事実が私の心を幼くしたように感じた。

・・・

心が病むという言葉を聞くが、私にはその経験がない。しかし、今回の入院で幼くなった心と似ているのではないかと思った。

今朝、1人でトイレへ行けるようになり、尿管を外してもらった。それが嬉しくて友人に報告したところ、「人生の追体験をしているようだ」と言われた。

そうか、この幼くなった気持ちは間違いじゃない。だって、幼稚な「できた」を繰り返しているのだから。

1人でできることが少ない。
いつも心細い。
狭い世界で生きている感覚。

それはまさに、心身ともに3歳児になったような気持ちだった。

この心境と、心に病を抱えた人とを同じに考えることは失礼な話かもしれないが、分解してみると要素としては似ているのではないかと思う。

・・・

昨日から歩く練習をしている。

100メートルの距離を歩くだけで息が上がる。
けれど、やはり歩けるようになることが回復への近道と聞いているので、今日は5本は歩こうと思う。

毎食自分でご飯も食べれる。
おかげで点滴を外してもらえた。

今日は入院後初めてシャワーに入れるかもしれない。

出来ないことが多いと、「出来た」も多くなるから嬉しい。幼くなるのも悪くない。

今日も私の心は元気です。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。