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うめは そのひの なんのがれ

「梅はその日の難逃れ」という諺がある。

朝、梅干しを食べる事で、その日1日の難を逃れることができるという。

小さい頃から祖母や母が、この言葉を言いながら食卓に梅干しを出していたのだが、友人に話すとこの言葉すら聞いたことがないと言われたことがあった。

我が家は、そういったあまりメジャーではないものを含め、諺や慣用句を日常中でよく使う家だったな、と思う。

他にも、テレビで平家物語が話題に上がれば、家族全員で序文を暗唱したり、文学作品の有名な一句を呟いてみたり。

心地よい言葉のリズムや音韻に触れる機会が、幼少期から多かったんだろうなと思う。

幼い私には「梅はその日の難逃れ」の意味なんて全くわかってなかったけれど、声に出したくてつい言ってしまうような、とりあえず両親や姉兄の真似をして呟いていた。

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梅に関する諺は、いい意味も悪い意味も含めてたくさん存在する。

例えば「梅根性に柿根性」。
これも実に声に出したくなる諺である。

梅は、似ても焼いても干しても果汁も、とにかく何を施してもすっぱい。対する柿は、どんな渋柿でも焼けば渋みは取れ、一晩干せば甘い干し柿へと変わる。

この事から、梅根性とは頑固でなかなか変わらない根性で良い意味では我慢強い。柿根性とは、一見頑固そうに見えてもコロっと変わりやすい根性のことを指すという。

悪い意味の代表は「梅木学問」。

梅の木は、成長は早いけれど大きな木にはならないことから、にわか仕込みで不確実な学問のことを梅木学問という。反対に長い年月をかけて成長し、大木になることから、少しずつ着実に積み重ねた学問のことを「楠学問」と言うらしい。

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉もあるが、そう考えてみると柿・楠・桜と、何かにつけて比較されている梅って少し可哀想だなと思った。

その点「梅はその日の難逃れ」は実に気持ちが良い。梅だけに注目し、その栄養価から昔は梅干しなどが薬として使われてきた歴史も含めた言葉であるため、全力で梅を肯定する諺である。

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今年は、梅酒か梅ジュース作りにチャレンジしようと思っている。

5年前からずっと作りたいと思っていたのに、機会を逃し続けてきたが、今年こそは。

ただ家でお酒を飲む習慣が全くないので、梅ジュースの方がいい気もするが、梅酒くらいなら水やソーダで割れば飲める気もする。

そうやって悩んでいる挙げ句、梅の時期を逃してきたのだが、もうこうなったらどっちも作ってしまおうかと。

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今日はダラダラと書いてしましたが…
ただ、私は梅が大好きという話でした。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。