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仕事は仕事として取り組みましょう

コミットしすぎなんじゃない?

働いていた塾の同僚に言われた言葉だ。
彼とは、副業として塾講師をしていること、ほぼ毎日出勤していたこと、同い年であること、最寄駅が同じであることから、一緒に帰ることが多かった。

ある日、私がその週末の土日どちらも出勤を教室長にお願いされ、「室長代理」をしてほしいと言われた。

これまでにもよくあることだった。
名ばかりだけど一応主任という立場もあり、大学生アルバイトには任せられない。けれどテスト前で開室しなければならないが、自分は休みたいと。

私は二つ返事で引き受けた。

私にとって、塾講師の仕事は経済上の副業ではあるが、精神上では本業で、何より楽しいことだったからである。

・・・

その日の帰り道、一緒に帰る彼に「最近土日も頼まれること多くないか?」と言われた。

確かにそうだった。

その頃はテスト前もあったが、間も無く受験期に差し掛かろうとする時期でもあったため、自習や補講を依頼されることが多かった。

だから、土日も構わず出勤したし、教室長不在のまま朝から晩まで塾にいた。

そんな私を見て、彼が言ったのだ。

いろはちゃんは仕事にコミットしすぎなんじゃない?もう少し「いい加減」にやんなよ。

と。

彼から見て、私にとっての塾講師という仕事に生活が脅かされていると感じていたようだ。事実、生活の一部であり、時間の多くを占めていた。

生活と仕事を切り離すことができていないことを、心配してくれたらしい。

一方で、私はそれの何がいけないのかと思っていた。学校で学びが完結しないこのご時世では、クラスの9割が塾に通う。そのような状況で、塾だから適当に、それなりにやればいいという彼が理解出来なかった。

子供たちのために、お金をもらって仕事としているのであれば、責任感を持って、使命だと思って取り組まなくては。

そうやって、自分に呪いをかけていた。

・・・

そんな仕事のやり方に、今も後悔はしていない。

ただ、今なら少し彼が言いたかったことも分かる気がする。

私は、生活だけでなく、心や感情も塾講師という仕事に引っ張られていた。塾のことになるとムキになって、本部に文句を言ったりもした。

しかし、今振り返ってみると、そのスタンスは自分を苦しめ、視野を狭くしているように思う。

仕事を生活の一部にすることで、デメリットが生まれることなど夢にも思わなかった。

やればやるだけ、コミットすればコミットするだけ子供たちのためになるというのは大間違いだった。

深く深くへいくほど、狭くて窮屈になっていくものである。

今はそんなことを思うようになった。

・・・

私にとって仕事とは、やらされてやるものではなく、やりたくてやるものだ。

そのスタンスは、今も昔も変わらない。

ただ、生活と仕事は分けるべきである。
仕事を仕事としてするために。


仕事が、生活の一部になっていませんか?
深く狭い世界へ、行ってはいませんか?

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。