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事実が噂をかき消す瞬間

会社の近くに、小さな稲荷神社がある。

2年前に私が入社した時から、その稲荷の鳥居にかけられている扁額(稲荷の名前が書かれた看板のようなもの)の「神」の文字が取れかかってプラプラしている。

いつか取れるのではないかとハラハラしているが、台風が来てもなぜか取れない。

神社の敷地内には、ブランコと鉄棒・滑り台などの遊具もあり、稲荷の中に公園があるのか、公園の中に稲荷があるのか分からなくなるほど、遊具に割かれたスペースが広い。

私は毎日、出勤時と帰宅時の2回、必ずその稲荷の中を通る。

なんだかんだ機会を逃して、きちんとお参りはしていないが、敷地に入る前には一度止まり、小さく礼をしてから鳥居の横を歩きながら、お稲荷さんの横を通る。

が、歩行者が多い場合や公園のベンチに人が座ってこちらを見ている時、後ろから誰かが来ていると感じる時には、「一度止まって礼をする」ということが流れ作業のように、誤魔化してしまうことがある。

人目を気にする意志の弱い人間だと感じる瞬間だ。

一方、毎朝だいたい同じ時間に、スーツを着たアラブ系の方が熱心にお参りをしている姿を見て、私も見習わねばないと思っていた。

・・・

通勤時に通ると言ったが、私の会社の最寄駅は、私が使用している駅と異なる。

本来は徒歩5分の最寄りがあり、社員もそちらの駅を使う人が多いのだが、自宅の最寄りから乗り換えなしで行けるもう一つの最寄駅を使用している。

坂も多く、歩いて10分ちょっとかかるが、私のようにアクセスの良さからもう一つの最寄りを使う社員も数人いるようだ。

ある日、前方を上司が歩いているのを見た。

前方といっても30mほど離れており、坂道だったので声をかけることはしなかった。

その上司は、私とは部署も違い、私の名前を覚えているのか?という程度の関係なのだが、役員なので当然私は知っていた。

それに彼について、あまり良く思う人がいないことでも有名だったから、後ろ姿が見えた瞬間に「あ、あの人…」と、噂が先行して脳を駆け巡った。

冷酷な人。口調が強く、利益のためならなんでもする。それについていけない人が多い。

あまりに仕事が忙しくて、残業中に涙を流す女子社員に、「同じ仕事で息が詰まっているんだな。気分転換にこの仕事もやれよ。」と新規の仕事をねじ込む。

私は遠くから情報だけ聞くので、仕事熱心なんだねと呟くと、若手の子達から「そういうことじゃない!」と抗議されたことがある。

まぁそういう噂である。

先を歩く彼が稲荷に向かう曲がり道を曲がり、姿が見えなくなった。

稲荷を超えるとすぐに会社なので、もう姿は見えないだろうと私も続いて角を曲がると、彼はその稲荷でお参りをしていた。

お賽銭を入れ、鞄を地面に置き、しっかりと手を合わせてお参りをしていた。

30mの距離が埋まる時間は1分もないけれど、お参りをする時間と考えるとその熱心さが伝わってきた。

公園のベンチには朝ごはんの菓子パンを食べるサラリーマンがいた。

例の如く、私は作業のように止まったか止まってないかわからない速度で鳥居の横を通り、首だけでペコリと自己満足の礼をして稲荷の敷地に入った。

中を進み、お参りをしていた上司が鞄を持ったところで、私も隣に並んだので挨拶をした。私のことは覚えてくれているようだった。

聞けば、出勤時には毎回お参りをしているのだと言う。

事実が噂をかき消した瞬間だった。

・・・

これまでだって、そこまで関わりがなかった上司だ。良くない噂や彼に対する愚痴を聞いてはいたけれど、私自身が彼に対してどう思うと言うこともなかった。

お洒落なおじさんくらいにしか思っていなかったから、彼の形容詞は「あまり良くない噂が多い人」でしかなかった。

あの日以来、その形容詞は消えた。
だからといって、良い人だとか好きになったということもないけど。

私にできないことを、
当たり前のようにできる人。

そう思うようになったのだ。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。