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会えない時間が愛を育てるという嘘っぱち

職場の男性上司に突然質問をされた。

今、現代を生きる若者たちは、不要不急の外出や人との接触を避けろと言われている今般に、恋人たちとどう向き合っているのか、と。

あいにく、わたしは職場の中では「若者」の括りではなく、悲しいけれど恋人と胸を張って呼べる恋人もいないので、その質問はお門違いなのではないか…と言ったのだが、話は進んでいった。

どうやら、彼は「親に内緒で同棲している恋人同士」が気になったらしい。そういう人たちは、どのように過ごしているのか。

同じ家で暮らしている以上、どんな状況になろうと一緒に暮らしている人が多いのではないかと答えると、「そんなの悲しい!」と感情を爆発させた。

彼には娘がいて、その娘が同様の状況であることを想像していたらしい。

ただ、悲しいと言われても知ったこっちゃないし、彼の娘さんはまだ中学生なので、そんな杞憂に付き合ってられない。

お互い実家が地方にあって、帰る家が1つなのであれば、物理的に仕方がないことではないかと言うと、ますます感情は高まっていった。

親に内緒での同棲は、互いの一人暮らしの家があるものでしかないと想定していたらしい。

私の基準としては、2人がそれぞれに住む家はありつつ、どちらかの家で暮らしをするのは「半同棲」で、2人で1つしか住所を持っていない場合が「同棲」だと思っている。

そのことを伝えると、

それを親に内緒にする若者がいるのか!
大体、それでよく親に内緒にできるな!
親も親で、気づかないのか!

と何故か怒鳴られ、大変面倒くさかった。

貴重な休み時間を潰された気持ちになりつつ、とりあえず最後まで話は聞いたのだが、休み時間の最後に彼は「会えない時間が愛を育てる、ということはもう現代には通用しないのか」と言った。

・・・

70年代の歌謡曲に、そんな歌があった。

「会えない時間が、愛育てるのさ」

とても有名なこの言葉に励まされて、遠距離恋愛や様々な会えない事情を乗り越えてきた人が多くいると思う。

私は86年生まれなので、この曲をリアルタイムで聞いていないし、発表された時にはまだ生まれてもいない。

けれど、そんな私と同世代でもこの言葉はよく使われている。

でも、そんなの嘘っぱちだと思う。

会えない時間が愛を育てることなんかない。

「会えない」という状況が、肥料としての役割を持つことはあると思う。ひとつの刺激というか、心を高める要素になることだ。

人は、制限されると欲求が増すものだ。

玉手箱だって開けるなと言われるから開けたくなるし、部屋を覗くなと言われるから気になって覗いてしまいツルを見る。

タブーの法則のひとつとして、「会えない」状況がことさら「会いたい」という気持ちを育てるというのは理解ができる。

だが、「会いたい」という気持ちが愛を育てるということにはならない。

・・・

趣味で考えてみよう。

趣味というのは継続してやり続けるものもあれば、途中で離れてしまうものもある。

しかし、本当に好きなことであれば多少離れる期間があったとしても、再び趣味として没頭できるものではないか。

例えば、私の1番の趣味は書道だけど、ずっと継続していたわけではない。

社会人になってから5年間くらいは全く筆も持っていなかったが、やはりどこかでもう1度書道がしたいとは思っていた。ある時、偶然仕事で式次第を書く機会があり、久々に筆を持ってやはり書道が楽しいと改めて思い、今に至る。

その一方で、一時期は熱中してハマっていたけれど、機会を失ってやる気まで失うような趣味もある。私の場合、それは野球観戦である。

中学の頃から大学生までソフトボールをしていて、野球にも興味はあり、神宮球場でビールの売り子として「お金をもらって野球観戦」という意識でバイトまでしていた。

ただ、就職をしてからは忙しくて、観戦に行く時間がなくなり、次第にテレビでも観なくなった。すると、あっという間に気持ちは離れた。それから10年、今となっては全く興味がない。

・・・

結局、愛を育てるのは結局自分自身であり、会えない時間というのは愛を図るものさしのようなものではないかと。

そして今、私たちは試されているのではないかと。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。