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正解は正しいのか

普段使用しない電車に乗ると、発車メロディーに「おっ」と発見の喜びを感じることがある。

昨日も仕事で朝早くから外出があった。連休明けのまぶたは重く、寝過ごす恐怖もあるので寝れず、スマホをいじりながらボーッとしていたら、クレオンしんちゃんのメロディが聞こえてきた。

私が住む街の最寄駅も発車メロディは独自のものとなっている。毎年行われる七夕祭りと‘ジャズの街’というところから、「笹の葉さらさら〜」でお馴染み、童謡唱歌の「七夕」がジャズアレンジされたものが使用されている。

蒲田駅の蒲田行進曲、高田馬場駅の鉄腕アトムのテーマを皮切りに、今では様々なところで、その土地ゆかりの作品やアーティストの音楽が流れるようになった。日常的に電車を使用する人にとっては、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。発車メロディはもはや、一つの文化を形成した。

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あまりにも暇だったので、他にはどんなものがあるのかと調べようと思ったが、調べていく中で意外な実験が行われていることを知った。

ご存知だろうか。一昨年の2018年8月・試験的に、発車ベル・メロディを使わない実験が行われていたことを。JR東日本で一部区間に限定し、車両に設置された車外向けのスピーカーのみでドアの開閉を知らせるといったものだ。

発車ベル・発車メロディは駅のホームにあるスピーカーから流れているのだが、これでは駆け込み乗車を助長している可能性があるとして、ベルやメロディを使わず、車両に設置された車外向けのスピーカーでドアの開閉を知らせる実証実験を始めた。

その後の結果を追ってはみたが、それらしい具体的な報告は為されていない。まだ実験は継続しており、実験を実施する駅や路線は増えているようだ。また、ベルやメロディを無くすのではなく、音量を下げる試みもあるようだ。まだホームにたどり着いていなくても、聞こえれば走り出す習性を持つ人が一定数いるからこその実験だ。

そう考えると、あの発車を伝えるベル・メロディは、何のためにあるのか。そして誰のためにあるのかを、本来考えるべきだった。

1980年代より、大音量で鳴らされる「ジリリリリ〜」という発車ベルが不快・騒音であるという苦情が増えてきた。そこで発案されたのが発車メロディーだ。当時、300種類以上の音源を制作し、1年間の開発期間を経て「鐘の音をイメー ジした鏡のような音」が新宿・渋谷駅に導入された。

ただ考えるべきはなんのためのベルだったのか、ということだろう。あれは「もうすぐ出発しますよ」とホームにいる人へ乗車を促すものではなく、「ドア閉まりますよ。そのあと発車しますよ」と、ドア付近にいる人への注意喚起のため他ならない。

今一度、発車時に聞こえる音を思い返してみよう。
まず発車ベル・メロディーが鳴り、「〇番線ドアが閉まります」という駅員のアナウンスが響き、「ドアが閉まります。ご注意ください」テープ放送のあとに、駄目押しの「無理なご乗車はおやめくださーい。ドア閉まりまーす」という駅員の声が再度注意喚起をする中で、短いチャイムや車掌の手笛とともにドアが閉まる。時間帯にもよるが、ラッシュ時のターミナル駅ではこのような光景が日常茶飯事だろう。

そりゃ、走り出す人がいるのも無理はない。なぜなら、発車ベル・メロディーが鳴り始めてから実際にドアが閉まるまでの時間は、意外と長いということを知っているからだろう。

発車メロディーだと駆け込む可能性が高くなる理由の一つに、「知っているからこそ」の問題点もあると思った。例えばメロディーの場合はフレーズが分かっているので、「十分間に合うだろうな」と高を括っていると、途中で切られたりすることがあった。もう乗ろうと思った電車だからこそ、小走りで乗り込むということもあるのかと。

だからこそ苦情が出た時に、誰の何のためかを考えれば、自ずと音量の問題であることは明白だったはずだ。

では、ベルをメロディに変えたことは間違いであったのだろうか。

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どうせ苦情は出る。
今回の場合でも、最初からメロディではなく、ベルの音を小さくするなどの策をとっていたとしても、また新たな問題は生まれただろう。だったら「では、どうしようか」と次の策を考える。そのほうが人間らしいな、と。

いつだって、正解が正しいとは限らない。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。