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サングラスおじさんのこと

教養について考えている。

ある人は、「教養とは、積み上げた知識をすべて忘れ去ったあとに残るもの」と言った。

またある人は、「教養は大人のおもちゃであり、あれば遊びがふえるだけ」と言った。

「学問などのすぐに役立つものというのは、すぐに役立たなくなり、すぐには使えない知識こそが教養だ」という人もいる。

いずれにしても、教養というのはどんなに高等な教育を受けたとしても勝手に身につくものではなく、自らが面白がって取り入れていくものなんだと思っている。

他人から与えられるものではなく、自分で獲得していくものなんだろうな、と。

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職場の博学おじさんは、私の中で教養がある人という位置づけなのだが、こう思った1番大きな理由は、誰とでも話を広げることができるからだ。

私がどんな話をしても話題を広げてくれるので、はじめは「趣味が合うな」と思っていたのだが、20代の新人と韓国アイドルについて話をしていたときは衝撃だった。

かと思えば、その足で私の向かいにある席に座り、最近落語を聞き始めたと報告した私におすすめの落語をいくつか紹介してくれ、その話の舞台が東京のどこにあって…と私の頭では覚えられない情報量のことを楽しそうに話していた。

翌日は話の流れで「虚構新聞」というあり得そうであり得ない嘘記事をインターネット上に提供しているサイトについて熱く語り、その夕方には仕事の話の延長で言語学や心理学について小難しい話を教えてくれた。

博学おじさんの専門はWEBデザインなのに。

もう、ちょっとしたタモリさんだなと思い始めている。

そういえば以前鳩の真似をしてくれたことがあったな…と思い出し、ますますタモリさん要素が強くなった。

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教養とは何かということは未だ分からない。

ただ教養のある人がどんな人かということは、なんとなく輪郭が描けてきたように思う。

好きだと思ったものには一途にとことんのめり込んでいく。

自分の持つ情報を、自らひけらかすようなことはしない。ただし、こちらがきっかけを作れば惜しげもなく様々な情報を与えてくれる。

それも、本当に楽しそうに。

「あまり詳しくない」と語るジャンルですら、話を広げる鍵を持っていて、人の話を聞いていても着眼点が秀逸だと感じさせられる。

そして、とにかく面白がるのが上手だ。

誰にでもいい顔をするということもなく、嫌なことは嫌だというのに、幅広い人から好かれる。そして、決して他人を強く非難したりはしない。


子どものころはお昼にテレビに出てる愉快ななサングラスおじさんだと思っていだけれど、大人になればなるほどスゴイ人だと気づき、タモリさんは教養おばけなのではないかという話。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。