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白髪でのぼる大人の階段

ついに、私にも白髪が生えてきた。

33年間生きていて、初めての白髪である。
なんとなく白っぽく見える…と言う毛はこれまでにもあったが、今回ほどハッキリと、まごうことなく白髪であると断言できるのは初だ。

右側の前髪に、1本だけ。
根元から毛先まで真っ白の白髪。

幼い頃から、白髪というのは老いの象徴で、母の頭に小さな白髪が生えるたびに毛抜きで抜く作業を、姉と張り合って行っていた。白髪と言うのは抜いたり染めたりして隠したくなるものだと知った。

しかし、いざ自分にできた時、抜く気になんてさらさらならなかった。

むしろ、ちょっと嬉しくも思っている。

この白髪は、苦労やストレスから生まれたものではない。私の体質上、過労やストレスが溜まるとハゲる傾向にあるからだ。

故に、この白髪は老いの証拠。

だからこそ、この白髪を発見した時の私の心は、大人の階段をのぼった気持ちになったのだ。

・・・

4月の記事にも書いたのだが、私も何かを創作をせねばと思い、大人と子供をテーマにした小説か絵本を書こうと思っている。

ただ、考えていくうちにどんどん「大人」の基準が行方不明になる現象に陥る。

歳をとるだけじゃないだろう。自立していたとしても精神的にまだまだ子供という人もいるだろう。他人から見てもまだまだ子供と思われている人が、子文は立派な大人だと主張する人もいるだろう。

つまり、そこに明確な基準がないので、大人があやふやになる。

以前、何かの本で大人の語源について書かれたものがあり、そこには「音無し(おとなし)」であると書かれていた。どんなことが起きても、決して声を荒げず、騒がず、大声を出さない人と言う意味である。「大人しい」という言葉もそこからきているとのこと。

確かに、「Gentleman」の"gentle"が「静かな」「穏やかな」という意味を持つことを考えると分からないでもないけれど。

でも、私が今考えているのは、「大人」というのは「大きい」という形容詞と同じなのではないかと思った。何か比較対象があって、それと比べて「大人」か否かを考えるものではないかと。

・・・

大人びた9歳と子供っぽい72歳は、結局72歳の方が大人だ。

大きいパンと小さいゾウが、小さいと言えども象の方が大きいことは明らかであるのと同じことである。

それはただ単に年齢で判断したいるのではない。そんなものはただの数字に過ぎないが、8倍も長く生きている分、それだけの知識や経験があるだろうし、72歳になって親のすねをかじって生きる人もいないだろう。(多額の遺産で生きているという人がいるかもしれないけど)

きっと、72歳は白髪だって生えている。

私の白髪も、知識と経験の勲章だと思えば、立派な大人の証拠ではないかと。…ちょっと無理やりすぎるか。


今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。