手放しちゃえばいいと思うんだ
すごいことに気がついてしまった。
私は、自分の意思であえて「悩み」を抱えているのではないだろうか、と。
近年、私の悩みはあまり解決されていない。
悩みがないというわけではなく、人並みに悩みは抱えて過ごしているわけだが、全てにおいて解決はできていない。
大した悩みでもないというのが本当のところだが、解決できる方法を知っているのに、その道を選ばないようにしている気がしたのだ。
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最近になって痛感しているのだが、多くの悩みは「考え方次第」である。
そして私は、どちらかというと「辛い」とか「苦しい」とかを口にしないタイプだと自負している。何故なら、多くの場合が「人に言っても仕方がないこと」だからだ。
それでも我慢ができなくなった時は、聞いてくれる友人がいる。「本当に困った時は、相談できる人がいる」という安心感で、心の健康は保たれているのだと思う。
だからといって、何でもかんでも相談してしまうのも違うのだ。
私が「この人なら相談ができる」と信頼している人の中に、私の話に全て同調する人はいない。
唯一、母だけは私を全肯定してくれるだろうが、他は皆、どちらかというと私とは異なる思考を持っている人である。
なので、きっと悩みを話せば、私では掴めない思考の助言をしてくれるに違いない。
でも、それをしない。
あえて悩みの中に留まろうとしている。
たぶん私は頑固なあまのじゃくで、人に言われた解決方法で悩みを消化させたくないのだ。
何気ない生活の中で、他人の思考に触れ、そこで得たものを活かすのはいいが、直接的に答えを聞くのはつまらない。
そして、事の大小にもよるが、考えて考えて考え抜いた先に、自分の中なりの答えを出せなかったなら、1度諦めてその悩みを手放してみるのがいいと思った。
手放すことは、逃げることではない。
自分の意思でその悩みと距離をおくことだ。
もし手放したとしても、頭の片隅には浮かんでいるはずだから、日々の生活や何気ない会話でも他人の思考に触れ、自分にはない思考をキャッチできるようアンテナを張り、解決への糸口が見つかったときに、もう一度その悩みを取り戻してみればいい。
悩み相談を受けることも多いが、常に悩みを相談してくる人というのは、悩みとの距離感が近すぎる。そして、意地になって悩みにしがみついている。
「悩むのが好き」という人も一定数いることは承知しているので、そういう人に関してはお邪魔をするつもりはないので、没頭していただいて。
でも、ただただ辛いのであれば、一度手放してみるのはどうだろうか。解決できるようになったら、もう一度手繰り寄せて。
"悲劇のヒロイン"になるのではなく、"冒険書の勇者"という感覚になれば、楽なんじゃないかな。
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人の思考に触れる機会というのは、そう滅多にあるものではない。
その点noteでは、本当に様々な人の頭の中を毎日覗き見ているようで楽しい。"冒険者の勇者"としては、いろんな人の記事を読むことは、宝箱を開けているようなものだ。
私の悩みは、ここにいる誰かの思考で解決へと導かれるのかもしれない。そして、誰かの悩みも私のnoteがヒントになったら嬉しいです。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。