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腑に落ちたときの快感

絵を描くことと、字を書くことは似ている。

このようなことは、あらゆるところで言われていることだ。私も、「まぁきっとそうだろうな」と思いながら過ごしてきた。

絵を評価してくれる人に手紙を書くと「だから絵も上手なのね」と言われ、普段から私の字を見ている人が私の絵を見ると「字もうまいからだな」と言われてきた。

幼い時から言われてきたことなので、その言葉に疑いを持たず、なんとなく受け入れてきた。だから、その意味もなんとなくの理解で止まっていたように思う。

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昨日は、一日中家にいた。

昼過ぎからは、金曜ロードショーでやっていた『魔女の宅急便』を録画をしていたので、それを見ながら絵を描いた。

実は『魔女の宅急便』のDVDを持っているので、録画してみる必要はない。でも、幼少期にまだVHSのカセット録画した『魔女の宅急便』を、文字通り擦り切れるほど見た私は、やはり金曜ロードショーで見る楽しみもある。

CMの入る位置が変わっていたり、逆に変わっていなかったりという発見も面白いし、「あの頃はこのシーンがカットされてたな」なんて思いながら見るのも、ちょっと楽しい。

なんと意味のないことを…と思われるかもしれないが、その意味のないことが好きなので、そこは容赦願いたい。

さて、『魔女の宅急便』を見ながら絵を描いたと話したが、もちろん描くのは魔女の宅急便のシーンである。「絵がうまい」と言われることもあるが、自分自身ではまだまだ修行が足りないと思っているし、絵をきちんと習っていたわけではないので、基本を学ぶには模写が一番だと思っている。

だから、このシーン描けるかな?と思ったところで一時停止をし、スケッチブックにボールペンで描写を真似てみる。タイマーで5分を計りながら描けるところまで描く。見本を見ながら、時間を書ければ誰だってかけると思うからだ。

そんなことをしながら見るから、キキが初めてのお届け物の仕事を果たし、無事にジジも救出してパン屋に戻ると、パンで作られた「おとどけものいたします。キキ」と書かれたキキとジジを模ったパンリースを見つけ、喜んだキキが旦那さん(フクオ)に飛びつくシーンまでがだいたい1時間なのだが、昨日は2時間もかかってしまった。

休憩がてら書道をすることにした。

すると、いつもより筆の運びが楽に進む。特に、はらいが思い通りになるのが心地よかった。最近は平日でも筆を持つようにしていたのだが、こんな感覚は初めてだった。

葛飾北斎は、この世は線と丸で出来ていると言った。書も同様であると思う。どの位置からどのように払うのが、自然で美しくなるのか。頭で考えてやっている時より、絵を描きながら感覚で覚えて体現するほうが、納得が出来る作品になる。

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もちろん、絵と字の共通点はたくさんあるのだが、今回実感してことは「絵を描くことと、字を書くことは似ている。」という言葉を、私は全く分かっていなかった。そして、今初めて体験を通してその意味を体で感じることができた。

空間の使い方や言葉では言い表せない歪みや膨らみ、風の向きなど、結局言葉では表現できないことは経験から得るしかない。

腑に落ちるということは、こういうことなのだろう。

頭で分かったというのは、単にその言葉の意味を理解したに過ぎない。体験し、五臓六腑で感じるくらいに深く納得した時に、初めて腑に落ちるという言葉を使う資格を得るのだと思う。

頭だけでなく、体中でその意味を理解した時の快感がたまらない。指の先が少しピリピリする感覚。

そんなことを知った休日でした。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。