見出し画像

他人の心は、自分の心を映す鏡

目下、私の課題は気を遣わないことである。

正確には気遣いすぎないこと。特に、仲良くなりたいと思う人ほど、なるべく意識している。もちろん、気遣いというのは必要なものだが、それには程度や限度がある。

だからこそ、なるべくラフに、そして素直に。

・・・

私は人に気を遣いすぎるらしい。
「転校が多かったから」と母は言っていたが、これはもうどうしようもない私の性分で、一つの処世術でもある。

おかげで、他人からも「誰にでも幅広く好かれるタイプ」と言われる。

そして、それは自分でもそれは自負している。

例えば、大学時代の部活仲間やバイト先・職場の人間関係の中においても、1番仲がいいのは誰かと聞かれると、私の名前を挙げる人が複数人いる。

かたや私はというと、正直別に仲がいいとも思っていなかったり…ということがよくある。

前職の同僚で、知り合ってから割と早めにその性格を見破ったお姉さんがいた。彼女とは同じ日に同じ部署へ配属された同期でもあり、先輩でもあった。

関西出身の彼女とは、仲が良くなるのも早く、私は日頃は標準語で話しているけれど、元々家族とは関西弁で話をしているので、彼女と2人で話をするときはいつも関西弁だった。

だからこそ、腹を割るのも早かったので、私の性格を見破るのも早かったのだと思う。

「人たらし」とまで言われたが、ある時「あんた恋愛はうまくいかんやろ」と唐突に言われた。続けて、どうでもいい人からは好かれても、好きな人には好かれんタイプやな、と。

図星も図星だったのでなぜかを尋ねると「気遣いすぎたり腹を見せないと、相手もその気にはならない。でも、好かれたいと思えば思うほど、気遣いそうやと思った。でも、そんなん相手からしたら距離を置かれてると思うか、本心が見えないと思うだけやで。」と。

人は心を開いてくれた相手には、心を開きやすくなるものだと言うことを肝に銘じておけと言われた。

・・・

今朝、父にメールを送った。

父は頑固で口煩く、自分の正義を強く持っているタイプだ。真面目すぎることもある。

私が社会人1年目の4/1の朝、初出勤の日の4時台に、5000字以上にわたり社会人としての心得や為すべき立ち居振る舞いについて書かれたメールを送ってくるような人である。

父は口だけでなく、そこに書かれたメッセージを全て体現しており、そういった仕事への姿勢は本当に尊敬する。

私は末っ子特権で舐めるように育てられたが、姉や兄が大目玉を食らっているのを間近で見てきたので厳しさも理解している。

大人になってからは、末っ子特権は薄れてきて、口喧嘩をするようになったものの、やはり姉兄の中では甘やかされているという認識が強いらしい。

兄は、自分が帰省するときと私が帰省するときとでは、父の張り切り具合が全く違うと言っていた。

率先して掃除をしたり、私が食べたいものを朝から買いに行ったり調理をしたり。

だから、感謝もしているが、私が父に対して素直になれないのは思春期に共に暮らしていないのが1つと理由ではないかと思っている。

本当に引越しばかりの幼少期だったが、私が中学に上がるのを期に、父は単身赴任をするようになった。

中学以降の友達は人生の友達になることもあり、これ以上転校をするのは私のためにならないと考えたらしい。

もちろんそれだけでなく、その頃兄は中高一貫校に通っていたということもあるが、姉は中学も3回転校していたことを思うと、感謝しなければならない。

しかし、金沢へ単身赴任をして行った父と会うのは年に数回。土日も仕事に励むようなタイプなので、家に帰ってくるのも少なかった。

私が高校に進学し携帯電話を持つようになると毎朝必ず7:10、私が学校に向かう電車の時間に父からメールが来るようになった。

熱いメッセージの結びには必ず「いろはの応援団長より」と書かれたそのメールは、当時の私にとってはメルマガのような感覚で、返信をすることすらなかった。

今考えると、なんで罰当たりなことをしてきたんだと思うが、父がそれで不満を言うことはなかった。

しかし、そこからずっと私は薄く長い反抗期を過ごしている気がした。もちろん会話もするし、2人でご飯を食べに行くこともあるので、巷で言われているような反抗期ではないものの、心に壁を作る感覚。

そんな父へ今朝送ったメールは、絶対に面と向かっては照れ臭くて言えない内容だ。でも、今日はなんだか気分が良くて、たまには素直に感謝を伝えてみようかと気まぐれに思ったのである。

ただ、父の性格をこれでも理解しているつもりなので、どうせまた「日頃からそう言う感謝の気持ちを持たなあかんで」とか「まだまだ足りん」とか講釈を垂れてくるものだと覚悟していた。

しかし、今日は違った。


「有難う。お母さんは、子どもたちはもう30歳40歳の大人なんだから構うな!!と言うけど、お父さんにとっては、皆んな昔のままの子供なんだよな。(苦笑)
口煩いかも知れ無いが、子供達が心配で堪らないから、お母さんの言う通りには出来ないんだよ。許してな。」


予想外の返信で驚いた。
こんなことを言うなんて、父も老いたのか…とも思ったが、ふと前職の同僚の言葉を思い出した。

心を開いてくれた相手には、心を開きやすくなるもの。

珍しく素直に送った私のメールが、父の心の声を引き出したのだろうか。

そう思って何度も読み返した。すると、少しずつ驚きではなく胸が締め付けられるような気持ちになった。

人の心は、自分の心を映す鏡だ。

心も態度も言葉も、されたい・言われたいと願うのではなく、まず自らが行わねばならないのだと改めて思った。

・・・

いつも遠くで見守っててくれてありがとう。
絶対に顔を見ては言わないけど、
本当は感謝と尊敬でいっぱいです。

子は親を映す鏡。
お父さんの素晴らしさを汚さぬよう頑張ります。

2020年 父の日

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。