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頑張るのはちょっとだけ

振り返ると、頑張り屋と言われることが多かった。家族からも友人からも職場内でも、ありとあらゆる別コミュニティーで言われる。

頑張り屋。そう言われるたびに、複雑な気持ちになる。この言葉に褒められている感がないからだ。実際に、私が思う「頑張り屋さん」は、頑張っていることが他人から見ても明らかだということ。

そういう人というのは、どこか空回り感があったり、その頑張りが報われなさそうな人であったり、無理をしているような人と思ってしまうからだ。

また自分が頑張り屋である自覚もあまりない。
何故なら、私は私を甘やかすことが何よりも得意だと思っている。

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定期的に見に覚えのないご褒美も与えるし、絶対に無理はしない。辛いことはなるべく避けて、限界だと思ったらすぐにやめるタイプだ。

ただ、よく「頑張らなくていいよ」という趣旨のポエムなどを目にするが、これには全面的に賛同はしていない。「頑張れ」「頑張ってね」という言葉が、人を不快にさせるという可能性がある。それは分かっているが、頑張る必要性もある時、ここ1番という時もあると思うから。

私には「頑張る時は、ちょっとだけ」と心に決めている。無理をしてがむしゃらに頑張るのは、自分を見失う危険があるからだ。しかし、少し背伸びするくらいの努力はしたいし、そのくらいで何かに手が届くならやってみたいという気持ちの方が強い。

そして、忙しそうな人には「頑張ってね」ではなく「頑張ってるね」という気持ちで接する方がいい。

「もうこんなに頑張ってるのにこれ以上頑張れと!?」という不満を抱かれることもない。そして言われた側が頑張ってようと頑張ってなかろうと、「頑張ってるね」と過程を認めるということは「頑張ってね」という過度な期待をかけることよりずっと良い。

まぁ多少上から目線になるので、相手と言い方は選ぶ必要があるが。

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ちなみに私は「頑張ってね」と言われたことも少ない。何故なら、頑張り屋評価が既についているからだ。

やっぱり嬉しくはない言葉ではあるが、手を抜いて、褒美をやりながらも、他人の目には「頑張り屋さん」に見えるなんて、お得な話があるもんだ。

今日も1日頑張ります。ちょっとだけ。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。