最高の料理の鍵は“安心感”
彼の実家に帰省をした。
忙しく食事の支度と後片付けをしているお義母さんを、手伝いたいと思った。
自分の実家に帰っても同じだったから。
人が1人増えるだけで、その手間は増えることを知っている。母がそれで苦労していたことも知っているし、ずっと手伝う…というか、一緒に作って一緒に片付けるということをしてきた。
ただ、やっぱり彼の実家はまだ勝手がわからない。何がどこにあるのかさえわからないので、「あれ取って」と言われても役立たずで、結局自分でやった方が早いというのも納得できる。
だから、今の私の仕事は実際に手伝うことではなく、勝手を知ることと場になれることだと思っていた。
今回は「冷蔵庫からあれ取って食卓に並べて」「この皿に人数分を盛り付けて」などは手伝わせてくれたので、それだけでも居心地の悪さを感じることなく、勝手を知り慣れる第一歩を踏み出せた気がしている。
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絶対にないことだけど、もしこれで「じゃあこの食材でお雑煮を作って」と言われたとしても、私にはできなかった。
お雑煮が作れないわけではない。
あんなものは切って煮るだけだし、餅も焼く場所さえ分かれば「お雑煮」その物を作ることはできただろう。
でも、それは「お雑煮」であればなんでもいいということではないと思うから作れない。
餅はいつもどのくらいの大きさに切って、どのくらいの程度焼き目をつけて焼くのか。
具材の切り方は、味噌の種類は、お椀は…と考えているうちに作れなくなるだろうな、と思うのだ。
その点、慣れ親しんだ味を知り、皆の好みを知り、そして自分の味を習慣にしたお義母さんには敵うわけがない。
だから作れない。
私もその習慣や慣れ親しんだ味、皆の好みを知ってからでなければいけない。
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彼の実家の地域にあるおにぎり屋さんに連れて行ってもらった。
梅、焼きたらこ、しぐれ、ツナマヨと変わった具材も目新しい特徴もないおにぎり。それが妙にホッとして、その安心感と一緒に頬張るおにぎりは、とても美味しかった。
私はこんなにおにぎりが好きだったのかと思うくらい、あっという間に食べた。
それは良い意味でなんの変哲もなかったから。
よくある普通の、心が温まるおにぎりだったからだと思う。
気を衒った料理でなくていい。
大袈裟な盛り付けや、高級食材もいらない。
そこに安心感があれば、それは最高の料理かと。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。