見出し画像

アザと距離感

身に覚えのない、治りかけのアザを見つけた。

知らない間にアザができている、ということは少なくないが、さすがに知らないうちに治りかけているアザを見つけるのは初めてだった。

私は出来たてのアザの色が好きだ。青みが強い場合と赤みが強い場合があって、私は青み強めの方が好み。そう言うと、周りの人に引かれてしまうから我慢していたが、ここでは言わせていただく。だからこそ治りかけの茶色味を帯びたアザになっていたことが残念だった。

10円玉より一回り大きいくらいの痕なので、おそらくぶつけた時は500円玉くらいの大きさだっただろう。そんな大きいアザに気がつがなかったなんて…。

しかし不思議なことは、気づかなかったことよりも、なぜそのアザができたのかを思い出せないということである。

知らない間にアザができた時、私はそのアザを押してみる。もちろん変な趣味ではない。ちょっと痛みが走るくらい押すと、不思議なことに「あ、そういえばあの時…」と思い出せるからだ。

今回は治りかけということもあり、押してもあまり痛くない。強めに押しても、思い出すことはできなかった。

私は何にぶつかったのだろう。
大きなアザができるくらいの衝突に気づかない鈍感さを憂い、空間認識能力を疑いたくなる。

気づかぬうちにできるアザは、不意に何かとぶつかってしまった距離感の把握ミスによるものだと思う。

さて。
人との距離感は上手く掴めているだろうか。

・・・

知り合いと友達と恋人と家族。

それぞれ関係性によって、取るべき距離感というものがある、それは物理的な体の近さもあるし、連絡頻度や会う回数でも距離感が表れるものだと思う。

私は正しい距離感で、人と接することができているだろうか。

距離感を間違えると、ぶつかってアザができる。
人間関係も同様に、その距離感を守らないと、ゲガを負うことになる。

たしかに、仲が良いと思っていて体を近づけた時、ふと相手が引いて距離を取られたショックは、アザ押した時なんかよりも痛い。反対に、ただの知り合いだと思っているのに、根掘り葉掘り質問責めにあったり、何度も食事に誘われると疲労感を感じる。

個人差はあれど、人は個人の距離感を保って生活をするはずだ。

たまに、「あの人距離感近すぎない?」と言われるような人もいるが、大抵は関係性と距離感は比例するものだ。

となると、人間関係において距離感のミスが起こったとするならば、それは単に距離感のミスではなく、相手の関係性の認識が相違しているということに他ならない。

・・・

あからさまに拒絶されたり、避けられたりすれば気づくことができるが、相手が我慢して受け入れて売れている場合、気づかずに衝突し続けている…ということもある。

ぶつかっても気づくことができないことがある。

人間関係は、アザの色を楽しんでいる場合ではない。一回の衝突で関係性が崩れるような致命傷にだってなり得るからだ。

距離感は保ちましょう。
近づきたい人がいるならば、まず関係性を変えることから。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。