理解はできても、受け入れられないことがある
爪を切った。
なんてことはない。単純に爪を切っただけで、このような場で報告するに及ばない生活の一部だ。
けれど、ちょっと特別だったことは「手と足の爪を同じタイミングで切ったこと」である。
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手と足の爪を、同じタイミングで切る。
それは私に取って10年に1度、あるかないかの非常に珍しいことなのだ。
私は爪を伸ばすことはあまりない。ネイルをしたとしても短い爪のまま染めることが多い。
ただ、なるべく短くしているけれど、爪を着る基準…というほどのものが明確に決まっているわけではない。
手の爪に関しては、キーボードを打つ音に爪のカツカツが聞こえてきたらとか、袖を通す指に服が引っかかったらとか、ふと見て白い部分が1円玉の厚みくらいになったらとか。時に決まりはない。
ちなみに「1円玉の厚みくらい」というのは今思いついた例えである。
学生時代、自分の爪の長さのベストを友人と語っていた時(学生時代らしいどうでもいい話ではあるが)、「生えかけてきて1週間くらい経った時の乳児の歯」と言ったら、たいそう気味悪がられたので変えてみた。
話を戻して、一方足の爪はというと、これまた基準らしいものはないのだが、ふと目についた時や靴下に引っかかる時とか、歩いていて靴と擦れていると感じた時だろう。
実感としては、足の爪を切る頻度というのは、手の爪を切る頻度に比べて遅いように思う。
手よりも感覚が鈍いせいか、私が夏でも靴下を履くことが多いので目に触れる機会も少ないせいか、とにかく手の指を2.3回切ったら次は足の爪が気になるという頻度だ。
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手と足の爪を同時に切ることが少ない私に取っては、「毎回手と足の爪を同時に切る」という感覚は全くないのだけれど、私には考えられないだけでそういう人もいるのだと思う。
基準についても、私のように気づいた時に切る人もいれば、毎月何日に切ると決めている人もいるに違いない。
そのような違いを理解できる余裕が出てきたと思う。
学生時代なんかは「考えられない」「ぜったいきになった時に切るべき」なんて思っていたと思うが、私も大人になり、そんなつまらないことで「〜するべき」という論は成立しないことを知った。
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理解することと、受け入れること。
ここには大きな溝があると思う。
私の考えとは真逆に、毎月決まった日に手と足の爪を同時に切る人がいることと、その考えは理解ができる。
しかし受け入れられない。
同じことはしたくないし、それでいいと思う。
でも。
昨今の「理解してほしい」と主張する人たちに、いささか違和感を感じているのは、「理解してほしい」と主張しているはずなのに、「他人もそれを受け入れること」を目的としている人がいるからである。
その違和感が、理解を妨げているようにも思ったのだ。
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旦那さんに、爪切りルールを聞いたところ、気になった時に一本ずつ切ると言われた。
なるほど。
…理解はできますね。
1番身近に、知らない世界が広がっていました。
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